2017年8月20日日曜日

先週(8/13)の講壇


聖書の書かれた目的」            ヨハネの福音書203031

 豊山 カヨ 牧師
 
 聖書は旧約聖書39巻、新約聖書27巻、旧新約合わせれば66巻となっています。この聖書は、BC1400年代のモ―セの頃から書き始められ、途中、旧約と新約の間の約四百年の沈黙の期間を経てAD一世紀の終わり頃までに、おおよそ40名の著者たちによって、色々な試練や迫害を乗り越えて書かれ、保存され、伝えられています。
 聖書は決して神秘的な書ではありません。確かな歴史を記述する書であります。けれども単に知識を提供するだけのものではありません。私たちを救い主のもとに導く書物であります。
 人はみな、神に従わない罪の性質を持っているので、そのままでは神様の裁きを受けて滅んでしまうしかないものでした。しかし、憐れみ深い神様は、すべての人の身代わりとしてイエス様を立てられ、イエス様は十字架で罪の罰を受けられ身代わりにくぎうたれ死んでくださいました。それで終わりではありません。そんな私たちを生かすために三日目によみがえられたのです。救い主が人々の身代わりになって苦しみを受け、そのあと栄光を受けることは、旧約聖書に書かれた神の約束でした。
 キリストは神の御子である事を証しています。聖書の言葉を通して信仰が深められ、信仰に固く立ち、その信仰を通して、霊的いのちの豊かさ、環境等に動かされず歩む人になるために、また、聖書の御言葉を通してイエス様がなして下さった大いなる神の愛、いのち、十字架の死と復活を見つける事が出来ます様に。日々御言葉を通して主の御声を聞き従って歩む一週間であります様に祈りつつ。(要約)

2017年8月13日日曜日

先週(8/6)の講壇


神の言葉“聖書”」          エレミヤ書3617

 綾 康輔 牧師

 同胞を愛し同胞のために涙しながら、執り成し、御言葉を語った預言者エレミヤに、主の御言葉が臨みました。それは、イスラエルとユダと全ての国々に対しての警告の御言葉でした。しかし、それはただ単に民達を裁くものではなく、悪から離れて神様に立ち帰る為の、愛の警告だったのです。
 私達も神様の御言葉“聖書”を読む時、「ああしてはいけない。」とか、「こうしなさい。」など自由が制限されている様な感覚になるのも事実です。しかし、それは私達自身以上に私達を知っておられる神様が、私達に対する最善を知っておられると言う原点から出発している事なのです。また、神様の御言葉は著者(御言葉を書き記した人)に霊感(聖霊の感動)を与え、記録するようにしました。それ故に、原本を書いた人は人間ですが、聖霊の感動を与え、書く内容を教えたのは聖霊様であり神様ご自身なのです。その意味からも神様の御言葉“聖書”の著者は、全知全能で天地万物の造り主である主なのです。
 今日の本文を記録したのは神様から語られたエレミヤが、代筆者であるバルクを通して書いたものですが、その様にして原本から写本、写本の写本と受け継がれ、私達の日本語にも訳されて、日本語で神様の御心を知る事が出来るようになったのです。正に、神様のラブレターを現代でも読む事が出来る恵みに預かっているのです。今日から始まる一週間、神様の私達に対する愛を感じる一週間になる様に祝福致します。(要約)

2017年8月6日日曜日

先週(7/30)の講壇


「熱心に一致を保つ    エペソ人への手紙416

豊山 カヨ 牧師

  使徒パウロが書いたエペソ人への手紙は1-3章では教理的教会論として教え、教訓が書かれていますが、聖徒達が具体的にその召しに相応しく歩む様にと勧めているのが4-6章です。その召しに相応しいとはどんな意味があるのでしょうか?対等にバランスをとるという意味であり、信仰と行いの間にバランスをとるように勧めている訳です。召しに相応しく歩むべき品性として「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍びあう。」これはイエス様に見る品性であります。
 謙遜とは自分を低くする態度ですが、その反対は傲慢で即ち争ったり、自我が強く自分だけが正しいとする思いです。柔和とは温かく和やかな人、即ち、自分の内で起こる感情をコントロールできる力と言えます。麗しい一つとなる交わりをしなければならないクリスチャン達に時折問題が生じます。傷つけたり、争ったりして痛みを覚える時、交わりが揺れる訳です。それは、この4つの品性が欠けている時に起こります。
 イエス様に似ていく事を願っているでしょうか?相対的優越感を持たないで、他の人を無視する傲慢をやめる事です。また、「寛容を示し、愛をもって互いに忍び合う」ということは、愛によって忍耐し受け入れる必要があると強調しています。願わくは全ての人が707度の赦しと理解が必要な愛の対象である事を知る事。更に赦しの対象が自分自身である事を知る事が大切です。
 「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」今日の鍵となるこの御言葉は「平和の中で聖霊様が一つとされることを何よりも真面目に勤勉に真剣に最善を尽くしなさい」という意味があります。分裂と争いには巧妙なサタンの働きがあります。小さい事かも知れませんが自分ができる平和の為の働き、謙遜の限りを尽くし、主の十字架を見上げ、主だけを崇めるなら私達は一つになる事が出来ます。(要約)

2017年8月1日火曜日

《8月度聖句》

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
               
                                詩篇119篇105節

2017年7月30日日曜日

先週(7/23)の講壇



イエス様に狂った者となろう!」    ヨハネの福音書113845

 綾 康輔 牧師
 
 イエス様の愛して止まないマルタ隣や、そしてラザロの三人うち、男兄弟ラザロが死んでしまいました。マリヤとそこに集まっていたユダヤ人は、ラザロの死を悼んでいました。イエス様は涙を流されつつも、彼らを見て霊に憤りを感じられたのです。そして、「墓の石をのけなさい。」と命じられました。
 そこでマルタは、「死後、四日も経っています臭くなっています。」と語ります。そかし、イエス様はこの事を通してご自身をお遣わしになられた父なる神様がほめたたえられるためである事を語られました。
 それで、イエス様は大きな声で「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれたのです。すると、ラザロは布でぐるぐる巻きにされた状態で墓の外に出て来たのです。これを見た多くのユダヤ人はイエスを信じたのです。しかし、その様なイエス様の奇蹟を見ても信じる事が出来ずに、パリサイ人達に告げ口をしに行った人たちもいたのです。
 どこに行っても、信じる人と信じない人の二つのタイプに分かれます。でも、イエス様に狂った者達は、まだイエス様の事を知らない人達に伝える役目があるのです。その様にして、私達の所にも福音が伝えられたのですから。今度は私達がイエス様に狂って、イエス様を証しする番なのです。(要約)

2017年7月23日日曜日

先週(7/16)の講壇



断罪するは主のみ               ヨハネの福音書8311


 綾 康輔 牧師
 
 姦淫の現場で捕らえられた女がイエス様の所に連れて来られました。律法学者、パリサイ人は、イエスを捕らえる口実を見つける為に、その女を連れて来て、イエスがどの様な反応をするか見ました。
 しかし、イエス様は彼らの心の中をご存じだったので、その女に対して「罪のない者か
ら石を投げなさい。」と言われました。すると、年寄りから始めて、一人去り一人去りで
イエスと女だけが残されました。
 誰も女を断罪出来ない事を見て、イエス様は女に「わたしもあなたを罪に定めない。こ
れからは罪を犯さない様に。」と語られました。この時の女は自分の犯した罪に対する自
責の念と、イエス様の大きな恵みを感じた事でしょう。
 私達は、この女と同じ様に罪赦された存在です。同時に私達は他人の事はおろか、自分さえも断罪出来ない立場にあります。その中でも、他人を裁いて断罪してしまう弱さがあります。もし、その様な欲求にかられた時には、自分がどの様な所から救われ赦されたのか、それを思い起こしつつ、正しく裁いて下さる主に委ね、その人の為に執り成す事を実践していきたいと思います。その様にして、神様の力を体験出来る一週か、そして一生になればどれ程幸いでしょうか。(要約)

2017年7月16日日曜日

先週(7/9)の講壇



罪を赦すイエス様」    ルカの福音書52026
 
 綾 康輔 牧師
 
 中風の男が数人の人達によってイエス様のおられる所に連れて来られました。しかし、人だかりで中に入る事が出来ずに、屋根を剥がしそこから吊り降ろしたのです。その時にイエス様は彼らの信仰を見て、「友よ。あなたの罪は赦されました。」と宣言されました。
 それを聞いていた律法学者、パリサイ人達は、心の中で「神を冒涜し、汚すこの男は誰だ?」とつぶやきました。イエス様は彼らの心の中をご存じで語られました。「父なる神様から罪を赦す権威を授かっている。」と。
 イエス様は中風の人を癒されました。それは、イエス様が父なる神様から罪を赦す権威を授かった事を示す為でもあったのです。イエス様は福音に伴うしるしと不思議をもって、御言葉が確かなものである事を示されました。
 今日の本文に現わされている中風の人と、屋根から吊り降ろした人達との関係は麗しいものです。正に、他人の為に執り成すキリスト者の姿を映し出していると思います。今年、与えられた年間聖句、標語を通して、御霊の一致を熱心に保ちつつ、与えられた力量に相応しく歩んで行きたいと思います。その様にして、残りの5ヶ月と3週間を過ごす事が出来れば、どれ程幸いな事でしょうか。(要約)

2017年7月9日日曜日

先週(7/2)の講壇



信仰を得るためには」     ヨハネの福音書31015

 綾 康輔 牧師
 
 ニコデモは71人から構成されるサンヘドリン議会の議員の一人で、博識かつ道徳的にも水準の高い人物であり、律法にも精通していました。しかし、彼はイエスと言う人物の行っているしるしと奇蹟の業を見て、只者ではないと思っていました。
 そんな彼は夜に、人目を避けてイエス様の所に訪ねていきます。そして、どの様にすれば神の国に入る事が出来るのか、質問しに行きます。そして、イエス様との対話の中で「救いの方法」を知ったのです。それは、今まで知っていた律法だけでは救われない事、また水と御霊によってしか救われる方法はない事を知ります。
 人は何らかの壁にぶつかった時に、揺るがない絶対的なものに頼りたいと言う欲求が生まれます。その様な時に神様に出会う絶好のチャンスなのです。それは、旧約聖書でモーセが青銅の蛇を掲げて、蛇に噛まれた人が仰ぎ見る事で、死ぬ事無く生き延びる事が出来たのです。正にこれはキリストの十字架を仰ぎ見る者が救われる事を暗示していたのです。
 イエスキリストを信じるだけで救われると言うのは、一般的には愚かな言葉です。信じない人が多いのも無理はないのです。しかし、神様は敢えてその様な宣教の言葉の愚かさを通して、神様を信じる者を定められるのです。それ神様の知恵なのです。(要約)

2017年7月2日日曜日

先週(6/25)の講壇



「知性を超えてひざまずく霊性」  エペソ人への手紙3章14~21節

 豊山 カヨ 牧師

 パウロは卓越した知性の持ち主です。しかし、彼は知識だけでは他人は人を変えることが出来ない事をよく知っていました。彼は牧会者として委ねられた聖徒達の為にひざまずき切に祈っています。この姿は神様に対する完全な服従と依存している事を現しています。
 聖徒達の中で苦難や問題の為に神様が「本当に自分を愛しておられるのか」「本当に神様がおられるのか」等と神様を信じる事が出来ない人がいます。喜びや意欲、期待を感じなくなっている人がいる訳です。その様な人の為に、パウロは神様に聖徒達がイエス様について更に深く知る事が出来る様にと祈りつつ、その事を通してキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれ程であるか悟れる様に祈ったのです。
 これは、信仰によって、イエス様と個人的な出会い、親密な交わりを持つ事が出来る様に、心のうちに住んでいて下さるイエス様を実際的に体験していく事ですが、そのカギは、聖霊様が教えて下さいます。パウロは聖霊の働きによって聖徒達にイエス様を知る心の目が開かれる事を切に願ったのです。パウロが信じる神様は、偉大で富んでおられます。神は私達の考えや期待に限定される方ではありません。はるかに超えておられるお方、私達が考えられる最上のものを超えるお方です。
 私達も主の御前に絶えず人々の為に、自分の為に祈るものでありたいです。「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」(要約)

2017年7月1日土曜日

《7月度聖句》



イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

<ヨハネの福音書1125>