2017年10月15日日曜日

先週(10/8)の講壇


とことん神様の恵み!」                          創世記121019

  康輔 牧師
 
 私達は人生の様々な場面で、危機や不安、恐れにおおわれてしまう事があります。その様な時にどの様に対処しているでしょうか。どうしても人間的な工作や知恵で、その状況から抜け出そうとします。もちろん、その様な事で、乗り越えられる場合も多々ある事でしょう。しかし、その様なものではどうしようも出来ない事柄もあるのが現実です。
 アブラムも、ネゲブでの飢饉がひどくなると、エジプトに逃れて行きます。そして、妻サライの事でまた余計な悩みも増えてしまいました。それは、妻サライが美人な為に、エジプトで妻を奪われ、じぶんは殺されるのではないかと言う恐れと不安でした。そこで、彼は妻に「妹だと言ってくれ。」と頼みます。その事が災いして、エジプトのパロ王の怒りに触れてしまいます。
 その様な、信仰から出た行動ではなかったのですが、最終的には妻を奪われる事なく、自分も殺されず、しかも所有物も戻されて帰る事が出来たのです。これは、神様の恵みであると言えるのです。私達の弱さ()に働かれる神様の強さをあらわしています。そして、私達は弱さがある故に、更に神様にお頼りして折にかなった助けを頂く事が出来るのです。それは、正に神様に全幅の信頼を置く者が体験する事が出来る恵みなのです。(要約)

2017年10月8日日曜日

先週(10/1)の講壇


「神の召しに従おう!」       創世記12章1~9節

                            綾 康輔 牧師


 アブラムは主から命じられたように、行先も分からず生まれ故郷のハランを出発しました。そして、約1,000㎞にもわたって長旅をし続けたのです。そして、カナンのシェケムに来た時に、主がアブラムに現れて語られました。それは、「あなたの子孫に、この地を与える」と言う御言葉でした。
 アブラムにとっては、不安な故郷からの旅立ちですが、神様の大きなご計画の中には、すでにしっかりと道筋が決まっていたのです。アブラムは主の語られたご命令通りに、生まれ故郷を旅立ち、主の導かれるままにシェケムまで来た時に主が御心を語られたのです。そこで、アブラムは自分に現れて下さった主を記念して、祭壇を築き主の御名によって祈ったのです。
 これは、正に今の私達の時代で考えるなら、礼拝を現す行為だったのです。主の御言葉が語られたのであれば、その御言葉と御霊の導きに従う歩みが、クリスチャンとしての賢い歩みであります。そして、その歩みを通して、主にご栄光が帰されていくのです。アブラムは、正にその醍醐味を私達に示してくれたのです。私達も、御言葉と御霊に従って歩み、主の示された使命に従って歩んで行き、主にご栄光を帰す歩みをし続けたいものです。(要約)

2017年10月1日日曜日

先週(9/24)の講壇


新しい人を身に着ける」      エペソ人への手紙41724

 豊山 カヨ 牧師

 私達がイエス様を信じなかった時、それを異邦人であった時を言いますが、その事を「古い人」と言って、パウロは古い人の状態や、その歩む姿に対して説明し、この様な生き方をしない様に勧めています。
 異邦人、即ち、信じない人の特徴として、彼らは「虚しい心で歩んでいる」と言っていますが、これは「目標がない」「歩む方向を知らない」という意味があり、「その知性において暗くなり、彼らの内にある無知」のゆえに霊的に無知な結果として現れます。虚しさから無知、無知から神を知る事が出来ず、神様を離れて放蕩に生きるしかない、まるでリスが回す車輪の様に同じ所をぐるぐる回る人生を歩むしかないのです。
 しかし、イエス様がご自身の命を掛けて十字架で犠牲となり、私達を罪から救う為に死んで下さったという値なしの大いなる恵みによって、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」クリスチャンの生き方は離れる事と従う事の連続です。罪から離れ、真理の中で清められつつ従う事です。
 イエス様は聖霊の力によって変わる事が出来る全ての道を開いて下さいました。どんな事であっても私達は人を変える事も、自ら変わる事もできない弱いものです。ただ主だけがお出来になります。その主に絶えず学んで、委ねつつ、従う力を頂いて歩む幸いが、新しい人を身に着けた皆様の上に豊かに望まれます様に願いつつ。(要約)

《10月度聖句》


人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。

<箴言2925>


2017年9月24日日曜日

先週(9/17)の講壇


「神の前に富む者とは?」    ルカの福音書12章13~21節

 綾 康輔 牧師

 「私の兄弟に遺産を分けてくれる様に言って下さい。」とイエス様にお願いした人は、イエス様によって警告を受けました。それは、人の命は財産にはない事、また地上に宝を積むのではなく、天に宝を積む事を諭されました。
 この当時は、今の様な社会福祉制度があった訳ではないので、教会が「施し」の役割を担っていました。それ故に、施しが盛んになされていました。そして、それは正にイエス様が語られた「第一に神を愛する事、第二に自分を愛する様に隣人を愛する事。」を実践する格好の行いでした。
 結局、イエス様の語られた御言葉は、「自分を富ませるのではなく、隣人を富ませる者」が神様の前で真の富んだ者であると強調されたのです。私達はどうでしょうか。富だけではなく、時間、労力、あらゆる面で隣人を富ませる行いが出来ているでしょうか。今回の御言葉を通して、今一度自らを吟味して新たな歩みを始めようではありませんか!(要約)

2017年9月21日木曜日

先週(9/10)の講壇


「真の隣人イエス」    ルカの福音書10章30~37節


 綾 康輔 牧師

 律法の専門家がイエス様に、質問した事に対して例え話で答えられました。それは、エルサレムからエリコに向かう途中で、強盗に襲われて半殺しにされた人が登場します。
 そこに、祭司やレビ人が通り掛りましたが、彼らはその人を見て見ぬ振りをして反対側から過ぎ去って行きました。そこにサマリヤ人が通り掛りました。彼は、その人を見るとかわいそうに思い、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、家畜に載せて宿屋に連れて行き、介抱してあげました。しかも、宿屋の主人に、「足りなかったら帰りに払う」と言い、労力だけではなく、金銭的にも助けたのです。
 これは、愛のある人とない人とのコントラストがハッキリ表されている事を現しています。イエス様は正にサマリヤ人と同じで、私達を真の隣人、真の友と呼んで下さいます。そして、愛の最大の表現である「友の為にいのちを捨てる」あの十字架を通して示して下さったのです。それ故に、私達はこの地上で「真の友」がいなかったとしても、イエス・キリストが真の友となって下さるのです。この大きな恵みを味わい、その恵みを隣人に分かち合う皆様と私になる事を願って止みません。(要約)

2017年9月10日日曜日

先週(9/3)の講壇



それでも赦しませんか?」         マタイの福音書182330

 綾 康輔 牧師


 ペテロはイエス様に対して、「兄弟を何度まで赦せば良いのですか。七度までですか。」と言う質問をしました。それに対してイエス様は例え話を通して答えられました。一万タラント(16万年半分の賃金)の借金を帳消しにしてもらった僕が、他の僕仲間に対して、百デナリ(約三か月分の賃金)の借金をしている事が赦せずに、牢屋に閉じ込めてしまった例えを話されました。
 私達は自分の力ではどうしようも出来ない罪に対して、イエス様は十字架の恵みによって赦しを受けました。正に、借金が帳消しにされたのです。その様な大きな恵みを受けていながら、自分に対して不利益を与えた相手を赦す事が出来ない弱さがあります。
 そんな時は私達がどの様な所から救い出されたのか思い出す時に、相手をも赦す心が与えられるのです。その為にも、私達は更に神様からの大きな恵みと愛を継続的に、持続的に受けていく事が大切なのです。そして、私達のお互いの中にも互いに赦し合い、受け入れあう事が必要になって来るのです。主の助けと知恵を頂きつつ、成し遂げていきたいと思います。その様な恵みと祝福に預かる皆様と私になる様、イエスキリストの御名によって祝福致します。(要約)

2017年9月3日日曜日

先週(8/27)の講壇


日ごと成長する教会」      エペソ人への手紙4716

豊山 カヨ 牧師

 イエス様は天に昇られ、聖霊の賜物をご自分の民に与えられました。聖霊降臨と共に教会が誕生し、聖霊の油注ぎによって、教会の働き人が立てられました。教会の働き人には、色々な役割がありますが、その目的は一つ、キリストのからだである教会を建てるためです。
 聖書は、「キリストの似姿へと作り変えられ」という事を勧めています。使徒パウロは「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」(1コリ13:11)と自分自身の成熟段階を言っています。
 しかし、私達の成熟をふさぐ幼稚な行動と気質はその様な自分を見る事も、自分では気が付いてないので中々変わる事も出来ず、悲しい事に、自分自身も、周りの人をも傷つけてしまうのです。子どもの様な気質は段々と消えていき成人になっていく様に思いますが、そうではなく幼稚な事とは決別しなければならないのです。全ての面において私達を縛っているそれらの影響を破っていく事を通してイエス様に達する事が出来る訳です。
 私達は互いに内なる人が強められ、一つとなり、与えられた賜物を用いて主に仕え、周りに良い影響を与える教会として日々成長する事が出来ます様に心から願いたいです。(要約)

2017年9月1日金曜日

《9月度聖句》


あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。
 
ルカの福音書10章27節前半

2017年8月27日日曜日

先週(8/20)の講壇


御言葉の力」                  テモテへの手紙第二31417


 綾 康輔 牧師
 
 パウロが御言葉によって養育して来たテモテは、祖母ロイス、母ユニケから受け継いだ信仰継承がされている事を知ります。更に、その御言葉によってテモテは、パウロの霊的な子どもから信仰の大人へと成長する姿も見る事が出来ます。それは、「わが子。」と呼ぶパウロの言葉から、「兄弟テモテ。」と呼び方が変わっている事から知る事が出来ます。
 この様にして、御言葉はキリスト者として成長するために、とても有意義なものです。なぜなら、神様の御言葉そのものであるからです。私達も、その事は頭では良く分かっていますが、中々生活の現場で体験する事が乏しいのが現実です。それは、日々のデボーションの積み重ねが無ければ難しいからです。そして、テモテにも見られたように、幼い頃から家庭の中で「御言葉の力」を体験していく必要があるのです。
 今日から始まる一週間が、お互いの遣わされている持ち場・立場の中で「御言葉の力」を体験していく事が出来る様、お互いの為に執り成していきたいと思います。それを通して、お互いに神の国の働き人として成長する皆様と私になる様イエスキリストの御名によって祝福致します。(要約)