2018年2月18日日曜日

先週(2/11)の講壇


「救いの実際(御言葉を信じる)」          ルカの福音書5111


 康輔 牧師

 ペテロをはじめとして漁師たちは夜通し漁をしても一匹も獲る事が出来ませんでした。そしてその日は引き上げて舟から降り網を洗っていました。その時にイエス様が現れて、ペテロの舟に乗られ、漕ぐように命じられました。そして、福音を語られた後に網を下すように命じられました。
 ペテロにとっては昨夜の仕事で不漁だっただけに、イエス様は敢えて火に油を注ぐ様な命令をされた様に感じたかもしれません。しかしペテロはイエス様のご命令通りに網を下しました。すると、網が破けそうになるくらいたくさんの大きな魚が獲れたのです。
 イエス様のなされた奇蹟を通して、ペテロは神様の聖さに触れ、自らの罪深さを悟らされたのです。そしてイエス様は漁師たちを人間をとる人として、即ち人の救いの為に用いると召して約束されたのです。魚が獲れた奇蹟と、救いの奇蹟も体験し、さらに主の器として召されたのです。私達も神様の御言葉を信じて、従う柔らかい心が備えられるよう祈りましょう。(要約)

2018年2月11日日曜日

先週(2/4)の講壇


配慮されるイエス」             ヨハネの福音書2111


 康輔 牧師


 イエス様は本格的に福音の働きをされた時に、ガリラヤのカナでの婚礼の時に、水をぶどう酒に変える奇蹟を行われました。そして、それを通して、弟子達もイエス様のご栄光を見て、信仰が確かなものとなったのです。
 そして、イエス様はこれからの更なる福音の働き、そして最終的には十字架の御業を成し遂げる為に、ご自分の母マリヤに対する愛の配慮がされている事を見ます。今日の本文の中で母マリヤに対して冷たい態度と思われるコメントをされましたが、それは正にマリヤの息子イエスではなく、神の子イエスと言う事を少しずつ示そうとされるイエス様の意図が見えるのです。
 そして、イエス様の母マリヤに対する究極的な愛の現れは、十字架の上で父なる神様の御業を為し終える直前に、愛する弟子ヨハネに母マリヤを託すと言う事でした。イエス様にとっては、最後の親孝行とも言える母マリヤに対する愛の配慮だったと言えるのです。私達も、主に似た者として成長できるよう、聖霊様に助けと導きを頂きつつ前進してまいりましょう。あなたは誰を愛し、誰に配慮しますか?(要約)

2018年2月6日火曜日

2月度聖句


イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自身の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

<ヨハネの福音書 2章11節>

2018年2月4日日曜日

先週(1/28)の講壇


この世と区別された聖徒」          エペソ人への手紙5114


 豊山 カヨ 牧師

 本文で使徒パウロはこの世と区別された聖徒として歩むべき道を勧めています。それは神に習う者となる事です。「習う者」とは真似する事、似ていく事を言います。神様に似る事とは、イエス様が私達にして下さった様に愛し合う事です。その愛とは、自分を捨てる事、自ら捧げ物になる事です。私達も主に似る姿で和を保つ家庭や共同体となる様にキリストの愛で互いに愛し合う事です。
 そして、捨てるべき事は果敢に捨てる事です。不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、みだらな事や、愚かな話や、下品な冗談を避ける事です。これが偶像礼拝者です「こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです」宣言しています。
 また光の子どもらしく歩みなさい。クリスチャンは光の内を生きる人達です。光を結ぶ実として「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」と主は言われます。そして「そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」とあります。自分の喜ぶ事ではなく自分は損する事かも知れない。でも、神様が喜ぶ事ならそちらを選ぶ事です。神様が喜ばれない事なら進んで諦める事です。この事が神様に倣い、似ていく者の相応しい生き方です。
 どのようにすれば、神様を喜ばせる事が出来るか悩みつつ、御声を聞く事が出来る一週間となります様に。(要約)

2018年1月28日日曜日

先週(1/21)の講壇

誘惑に負けない為に」          マタイの福音書4111


 
 
康輔 牧師
 
 イエス様はバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられ、御霊を受けられた後に、御霊に導かれて荒野に行きました。それは、悪魔から誘惑を受けるためでした。それは、本来誘惑を受ける必要のないイエス様が私達クリスチャンにお手本を見せる為に受けられたものでした。
 そして、悪魔からの三つの誘惑に対して御言葉で勝利されたのです。それは、私達が霊的戦いの現実の中で、御言葉による勝利を体験出来るようにとの願いが込められていたのです。人間としての弱さがある為に、悪魔は常にそこに付け込んでくるのです。
 しかし、私達は既に悪魔に勝利されたイエス様と共に歩む事が出来るのです。そして、この世での霊的戦いの歩みを終えた時には、主ご自身から「よくやった。良い忠実なしもべだ。」とお褒めのお言葉を掛けて頂ける様な歩みをお互いに送らせて頂ける様に御霊の力と導きを頂きましょう。(要約)

 




 

 

 

 



2018年1月21日日曜日

先週(1/14)の講壇


見本を見せられたイエス」           マタイの福音書31317


 康輔 牧師

 バプテスマのヨハネはイエス誕生の少し前に生まれていました。そして、イエスの福音宣教の働きの前に、その道備えをする為に主が遣わした人物であり、旧約聖書イザヤ書にもその事が預言されていました。
 そして、いよいよイエスが福音宣教の働きをする時に、バプテスマのヨハネの所に来られて、「バプテスマを受けさせて欲しい。」と願い出たのです。バプテスマのヨハネは恐縮しながらも、イエスの押しに負けて施す事になりました。
 そして、イエスの上に聖霊が鳩の様に降って来て、その上に留まりました。これからの福音宣教の働きの為に聖霊を受けられたのです。これらは、神であるイエスご自身が私達クリスチャンに見本を見せるべく、行動を取られたのです。そして、クリスチャンが全てイエスの見本を通して、この世に遣わそうとされる意図が如実に表されているのです。
(要約)

2018年1月14日日曜日

先週(1/7)の講壇


知恵に満ちたイエス様」            ルカの福音書24147

康輔 牧師

  ヨセフとマリヤは毎年の様にユダヤ教の慣習として過ぎ越しの祭りの時には、エルサレムに行って神様に礼拝を捧げ、過ぎ越しの時を過ごしたのです。イエス様が成人する十三歳の前の年にエルサレムに両親と行きました。
 過ぎ越しの祭りを終えて両親は帰途につきましたが、息子イエスがいない事に気が付き、あちこち探しまわりましたがどこにもいなく、結局エルサレムまで引き返しました。すると、教師達を相手に真ん中で話し合っている姿を見ました。
 この出来事はイエス様が背も知恵も成長した姿を見せるだけではなく、私達人間は常にイエス様を見失う危険性がある事を示唆しています。いつでもぶどうの木であるイエス様に繋がっている必要があるのです。しかし、それ自体も肉の力では出来ません。聖霊様の助けと導きが必要なのです。(要約)


2018年1月1日月曜日

2018年約束のみ言葉



2018年 年間聖句
 

     私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと

     思いなさい。

ヤコブの手紙1章2節》


 

2018年 標語

     試練の後には必ず恵みが!


2017年12月31日日曜日

先週(12/24)の講壇

アドベント(待降節)第四週目

V.I.P.クリスマス礼拝

 

宝を入れた器」           コリント人への手紙第二4章7~9節


 康輔 牧師

 聖書を見ると、人間は土地のちりで造られ、「土の器」と言う表現をしています。それは、文字通り「土」で造られた存在です。それは、もろくて弱い器である事を示しています。
 しかし、その様な弱い器でも宝物を入れるなら、それは尊い器であると言えるのです。そして、その様な時に器としての価値が変わって来るのです。弱さは変わりませんが、「宝」が中に入れられることによって、全く違った器となるのです。
 聖書の中で、「宝」を現すものはイエスキリストであると語っています。そして、誰でも土の器に、この「宝」を入れる事で、素晴らしい器となるのです。そして、土の器に「宝」を入れる方法は、心の戸の外でいつも叩いておられ、心の戸を開けるなら、中に入って共に食事をすると約束されたのです。この恵みを一人残らず味わわれる皆様になる様、イエスキリストの御名によって祝福致します。(要約)

2017年12月24日日曜日

先週(12/17)の講壇



アドベント(待降節)第三週目 聖日礼拝

マリヤの信仰」    ルカの福音書12634


 康輔 牧師
 
ガリラヤのナザレに住んでいた一人の平凡な乙女マリヤの所に、ある日突然に神の使いガブリエルが訪れました。そして、ガブリエルはマリヤに対し、「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」と語られました。その挨拶にひどく戸惑ったマリヤでしたが、更にガブリエルは語ります。「あなたはみごもって、男の子を産みます…。」
と。
 これは、メシヤとして来られる救い主イエスが生まれる予告をしたものだったのです。そして、その子は聖霊によって身ごもり、「いと高き方の子と呼ばれる。」と告げられたのです。マリヤはとても理解出来る状況ではなかったのですが、彼女に与えられた信仰によってそれを受け止め、主の御心がなる様に告白したのです。
 マリヤの信仰は、自らの考えや思いにこだわるのではなく、主の御心を優先させたのです。そして、マリヤの信仰を通して昔からの預言の通りにメシヤが赤ちゃんとして来られ、やがて十字架の御業を完成し、私達に救いを与えて下さったのです。私達もそれぞれに与えられている使命があるのです。(要約)