2017年3月19日日曜日

先週(3/12)の講壇


献身の祝福が身の回りにも」            ヨハネの福音書1218

 綾 康輔 牧師
 
 イエス様がエルサレムに入城される前に、ベタニヤに立ち寄られました。それは、イエス様の十字架の直前である事を現しています。また、ラザロを甦らせた場所でもあったのです。マルタはイエス様の給仕にいそしみ、マリヤは高価なナルドの香油をイエス様の足に注ぎ、髪の毛で拭ったのです。
 マリヤはイエス様の葬りの為に予め用意しておいたのです。また、彼女の信仰から出ている行動が、イエス様の葬りを予め記念すると共に、髪の毛で拭ったマリヤ自身にも良い香油が染みつく祝福に預かったと見る事が出来ます。更に、家中に香油の香りが広がった事で、そこに居合わせた人々も、香油の良い香りの祝福に預かったと解釈する事が出来ます。
 この様にして、一人の献身が本人だけではなく、身の回りの人達にも良い影響を与えていくのです。私達も、キリストのからだを建て上げる為に、教会の一つの器官としてそれぞれの所から集められたお互いです。私達にも、それぞれに与えられたタラントを活かして、身の回りの方達の祝福の為に、用いられて行きたいものです。そのためにも、更にお互いが主に献身の歩みをしていきましょう!(要約)

2017年3月12日日曜日

先週(3/5)の講壇


本質を見抜くイエス様 」   ヨハネの福音書21825

 綾 康輔 牧師

 イエス様は十字架に掛かられる直前に、エルサレムに上られてから宮で商売をしている人達を追い払う、「宮清め」をされました。それは、本来の宮での礼拝よりも商売の巣になっている事の怒りが、イエス様をそうさせたのです。
 そんな中でユダヤ人達はイエス様に対して、「しるしを見せてくれ」と要求しました。それは、イエス様が預言者であると言う証拠を確認しようとしたからです。イエス様はそれに対して、「神殿を壊して、三日で建て直そう。」と語られました。更に、イエス様はヨナの例え以外にはしるしはないと語られました。ヨナが三日三晩、大きな魚の腹の中にいた事、そして三日後に陸地に吐き出された事。これらがイエス様のご復活を現す言葉だったのです。キリスト教の真髄が正にイエス様の十字架と復活にあるのです。
 イエスが行われたしるしを見た多くの人はイエスを信じましたが、イエス様は、彼らに証言を得ようとはされませんでした。それは彼らの心のうちをご存じで、しるしを見たから信じた人達であり、もし彼らの証言を聞くなら、イエスをただのスーパーマン位にしか証言出来ない事を知っておられたからなのです。
 私達はどうでしょう。イエス様の証人として信仰の受肉がなされているでしょうか。更なる信仰のステップアップを踏ませて頂きましょう。(要旨)

2017年3月5日日曜日

先週(2/26)の講壇


神の偉大な力の中にある教会」     エペソ人への手紙11523

 豊山 カヨ 牧師
 
 本文はパウロがエペソの聖徒たちの信仰とすべての聖徒に対する愛とを聞いて、神様に感謝を込めて切に祈る祈りとなっています。真実な祈りはその魂の為に切なる祈りによって証明されます。真実な祈りの中に神様に対する愛をも含んでいます。
 パウロはエペソの聖徒たちに対する感謝に続いて神が目を開き、悟らせて下さるように、そして神を知る為の「知恵と啓示の御霊」を与えて下さるように祈ります。この「知る」というのは経験的に知ることを意味します。主から悟りが与えられなければ私たちは決して知ることは出来ません。そして続けて祈った事はこの知識が更に成長して行く事でした。
 私たちが感覚では完全に知ることのできない霊的世界のあらゆる勢力と力と影響力がみなキリストの内に置かれています。そのキリストが満ちあふれているところこれが教会の霊的実体です。神の偉大な力の中にある教会である訳です。
 信じるものに働く神の力がどれ程偉大なものであるかを知ることに団結して歩める共同体でありますよう願っています。パウロは神が約束された豊かさに焦点を合わせて生きるようチヤレンジを与えます。私たちの信仰告白と生き方の姿勢をふりかえってみましょう。(要旨)

2017年3月1日水曜日

《3月度聖句》


ホサナ、祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエル王に。

 

ヨハネの福音書1213節

2017年2月26日日曜日

先週(2/19)の講壇


「神の御業の為に用いられた人々」                 列王記第二 5章1~14節

                                                                                                                        綾  康輔 牧師
 
 アラムの王ベン・ハダデの右腕として、かつてのアラムに勝利をもたらした将軍ナアマンは勇士ではあったが、ツァラアトに冒されていました。これは、ナアマンだけの問題ではなくアラムの王ベン・ハダデとしても大きな痛手でした。それは、いつ戦争が起こるか分からない状況の中で、ナアマン将軍がツァラアトに冒されていたので、決して他人事ではありませんでした。
 ナアマンの癒しを切に願っていた王は、イスラエルから捕虜としてナアマンの妻に仕えていた若い女から、「サマリヤにいる預言者ならご主人のツァラアトが癒される。」と言う情報を伝え聞き、ナアマンをその預言者の所に送り、贈り物と手紙をイスラエルの王に送ったのです。
 そして、ナアマンは預言者エリシャの所に来たのですが、エリシャが直接ナアマンに会って手を置いて祈るのではなく、使いをよこして「ヨルダン川で七度身を洗うように。」と言う伝言だけを聞き、憤慨して帰途につこうとしました。そこで、ナアマンの付き人のしもべ達はナアマン将軍が癒されて欲しい一心で引き留めようとします。それによって、ナアマンは預言者エリシャの言う通りに行って、癒しを受けたのです。
 この様にして、ナアマンの癒しの為に用いられた人達は無名の人達でしたが、神様の御業の為に用いられたのです。
 私達も同じ様に、無名の人ではあるかもしれませんが、神様は確かにご自身の御業の為に私達を造られ、そして今も生かして下さっているのです。神様の御業の為に、またキリストのからだを建て上げる為にこの世から集められたお互い一人一人なのです。(要旨)

2017年2月19日日曜日

先週(2/12)の講壇


主役を輝かせる助演を!」            列王記第一183039

 綾 康輔 牧師

 預言者エリヤはバアルの預言者達との戦いで、どちらの仕える神が本物かを勝負しました。バアルの預言者達は自分達の体に傷をつけてまで彼らの神、バアルに「火を降して下さい。」と願い求めました。しかし、何の音沙汰もなかったのです。
 そこで、エリヤは自分の名を売る為でもなく、ただただ、主の御名が再び民達の中で「主役」である事を知らしめて欲しいと言う一念で、神様に祈り求めました。そのために、ヤコブの子らの十二部族を象徴する十二の石で祭壇を作り、その上に十二のかめに満たした水をふりかけました。エリヤが切に神様に祈ると、なんと天から火が降って来て、祭壇はおろか水さえも全てなめ尽してしまったのです。それを見た民達は「主こそ神です。」と告白したのです。この様にして、エリヤは主役である神様を輝かせる為に、助演を果たしたのです。
 私達は、エリヤの様な高尚な助演をする事は出来ないかもしれませんが、私達にも出来る事は必ずあるのです。あの二匹の魚と五つのパンを差し出した少年の様に、与えられているもので五千人以上のお腹を満たした主の奇蹟がなされたのです。同様に、私達にも与えられている賜物で神様が主役である事を現されるのです。共にその事を通して主役である神様を輝かせるお互いでありたいものです。(要旨)

2017年2月12日日曜日

先週(2/5)の講壇


何を求めます?」            列王記第一3510

 綾 康輔 牧師

 偉大な父ダビデ王の後継者としてイスラエルの王に選ばれたソロモンは、夢の中で主から「何を与えようか。願え。」と語りかけられました。そこでソロモンは王としては未熟で、数多くのイスラエルの民達を正しく裁く事は出来ない事を認識した上で、主に「知恵」を求めました。それをお聞きになった主は、ソロモンに海辺の砂浜の様に広い心と知恵と英知をお与えになりました。しかも、ソロモンが願わなかった、富、誉れ、長寿を与えると約束して下さったのです。
 これは、ソロモンが自分の利益の為に求めたのではなく、主から与えられた使命を、任務を全うするための者であったからです。それは、とりもなおさず、主の喜ばれる、主の御心を求めた事になるのです。
 主はその様な求めを喜ばれたのです。なぜなら、「神の国とその義とをまず第一に求める時に、それらのものは全て与えられます。」と約束されているからです。私達はとかく、日常の生活を送る事で精一杯で、神様の御心を求める事が困難であるのが現状です。 
 しかし、神様はその様にして神の国とその義を求める力をも与えて下さるのです。神の国とその義を求める事自体を神様に求めればよいのです。そして、神様が私達以上に私達の必要を知っておられると言う事を体験する事が出来るのです。(要旨)

2017年2月5日日曜日

先週(1/29)の講壇


天にあるすべての霊的祝福」       ヘブル人への手紙12314

 豊山 カヨ 牧師

今日の本文は、原文を見ますと3節の「父なる神がほめたたえられますように」から、14節の「神の栄光がほめたたえられるためです。」までは一つの文章となっています。
 使徒パウロは、牢につながれて、エペソ人への手紙を書き送ったのですが、牢獄に捕らわれていながらも何がそんなに素晴らしいことで、神様に賛美を捧げ、ほめ歌を捧げたのでしょうか?
 それは、私たちが世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者として神の子とされたと言うことです。このことは奥義であり、真理であって、驚くべきことです。それだけではなく、罪の奴隷であった私たちをイエス様の十字架の血潮によりすべての罪は値なしに赦されたことです。天の御国に入る資格を得たのです。ゆえに永遠の栄光の神を賛美するのです。又、聖霊をもって証印されたこと。だから、使徒パウロは神様が与えて下さった天にあるすべての霊的祝福を悟り、神様に対して賛美から始めて神の栄光をほめたたえているのです。
 救われ、集められた私たちも一つとなりこの与えられた霊的祝福を通して、感謝の賛美を捧げ、御言葉に固く立ち、主に仕え、恵みの福音を告げ知らせ、いつまでも神様の栄光がほめたたえられますように。そして、このような神さまの栄光のための働きに用いられるよう聖霊様の助けが与えられますように。(要旨)

2017年2月3日金曜日

《2月度聖句》


するとエリヤは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。必ず私は、きょう、彼の前に出ましょう。」                 


<列王記第一1815>

2017年1月29日日曜日

先週(1/22)の講壇


御言葉の約束を握りしめよう!

士師記717節 綾 康輔 牧師

 ミデヤンの圧制の中で、ギデオンは恐れをなしていました。彼はミデヤン人を避けて、酒ぶねの中で小麦を打っていました。そんな彼に主は、「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。」と語られました。しかし、ギデオンはそれが本当に神様から出ているのか、確認の作業をしました。
 そして、しるしを見せて頂き、本当に神様が語られた事であると確信するに至るのです。そして、神様はイスラエルの民が多いのを見て、人数を減らすように促されました。そこで、三百人だけ残されました。この三百人とギデオンで、一万五千人のミデヤンと戦う事になったのです。
 人間的な目で見るなら、イスラエルの陣営の数は勝ち目がない数字です。しかし、主が戦われてイスラエルに勝利を与えて下さると約束して下さったが故に、主ご自身が成し遂げて下さるのです。主は約束して下さった事を必ず成し遂げられるお方です。
 今年も私達に与えられた御言葉があります。その御言葉も約束して下さったので、神様が成し遂げて下さると信じて歩む事が求められます。その御業を通して、更にキリストのからだが建て上げられる事でしょう。そして、その為に用いられるお互いとなります様に。(要旨)