2017年4月30日日曜日

先週(4/23)の講壇


霊的な目が開かれる為に」            ルカの福音書242731

 綾 康輔 牧師

 ご復活の主に会った弟子達は、それがイエスであるとは気が付きませんでした。その様な彼らをご覧になられたイエスは、御言葉からご自身に関する事を話されたのです。また、弟子達と食事をされた時にパンを取り祝福して、割いて渡されました。それは正に「最後の晩餐」、「五つのパンと二匹の魚」を思い出させるさりげない行為でした。
 それらのイエスのさりげない行動により、弟子達はイエスであると気が付いたのです。それは、イエス様が決して無理矢理に導かれるお方ではなく、さりげない中にも弟子達が霊的な覆いが取り除けられるような方法でなされたのです。
 そして、霊的な目が開かれた時イエス様の姿が見えなくなったのです。それは、復活直後に弟子達のいた家に、扉が閉じている状態で入られた事を思い起こす行動でした。それは、復活の主が時間と空間を超越されているお方である事を示しています。また、イエス様がこの世を去っていく事で、もう一人の助け主である聖霊様が遣わされると言う御言葉が成就するためでもあったのです。

復活の体の主は、その様な時間や空間に支配されてはいません。私達も、やがて朽ちない栄光の体に変えられる時が来るのです。そして、その時が来るまでは、有限の体を着て歩み続けるしかないのです。それまでに更に霊の目が開かれる様に主は今日も導かれます。(要約)