2017年6月4日日曜日

先週(5/28)の講壇


「教会、神様の知恵を知らせる通路」 

エペソ人への手紙3章1~13節

 豊山 カヨ 牧師
 
 神様は私達を呼んで神の御国を広げる為に働き人として用いられるお方です。パウロは自分自身の事を神様の奥義を悟った者として異邦人に福音を伝える働き人として神が立てて下さったと言っています。牢に監禁されていたパウロは、聖霊によってキリストの奥義、即ち、福音を通して異邦人が契約の民となった事実を悟ります。パウロはこれを「キリストの奥義」と言いました。つまり、キリストにあって異邦人がユダヤ人と「共同の相続者」となり、「ともに一つのからだに連なり」、「ともに約束にあずかる者」になったのです。イエス様の十字架を通して全ての差別はなくなり、神の国が驚く程広がり、「キリストの測りがたい富」が伝えられたのです。
 パウロは牢に繋がれていたけれど環境に縛られず、自分がキリストの働きの為に「キリスト・イエスの囚人となった。」と確信していました。そして、彼が神の働き人としてこの様に偉大な使命を成し遂げるようになったのは、決して、自分の力によったのではなく「神の力の働きにより、」「神の恵みの賜物によって、」と言う事を深く認識していました。
 パウロが自分の働きを通して教会に「神の豊かな知恵が示される」事を確信しているのを見て私達が得られる事は何でしょうか?教会は神様の知恵を知らせる通路であり、全ての人がキリストを信じ神様の御前に出るようにする事です。
 私達もキリストの体の各部分として主から与えられた賜物を用いてどんなに小さい事も主が導いて下さった事を悟り、謙遜に仕える神の働き人となります様に互いに励まし合いながら歩みたいものです。(要約)