2018年1月14日日曜日

先週(1/7)の講壇


知恵に満ちたイエス様」            ルカの福音書24147

康輔 牧師

  ヨセフとマリヤは毎年の様にユダヤ教の慣習として過ぎ越しの祭りの時には、エルサレムに行って神様に礼拝を捧げ、過ぎ越しの時を過ごしたのです。イエス様が成人する十三歳の前の年にエルサレムに両親と行きました。
 過ぎ越しの祭りを終えて両親は帰途につきましたが、息子イエスがいない事に気が付き、あちこち探しまわりましたがどこにもいなく、結局エルサレムまで引き返しました。すると、教師達を相手に真ん中で話し合っている姿を見ました。
 この出来事はイエス様が背も知恵も成長した姿を見せるだけではなく、私達人間は常にイエス様を見失う危険性がある事を示唆しています。いつでもぶどうの木であるイエス様に繋がっている必要があるのです。しかし、それ自体も肉の力では出来ません。聖霊様の助けと導きが必要なのです。(要約)