わたしが生まれて初めて、キリスト教会に導かれたのは、1964年9月22日でした。会社の帰途、駅前の路傍で配られていた一枚の特別伝道集会の案内に よってでありました。当時25歳でしたが、人生に何の希望も持っていませんでした。自分の性格の暗さに悩み、人と順応して生活できず、いつも孤独でした。 その上、死の恐れにとらわれながらも幾度か自殺したい気持ちになったこともあります。しかし、死にきれず、そうかといって生きることもつらい毎日でした。
そのような状況から抜け出たいとある時は仕事に打ち込み、読書やまた、パチンコや快楽などで生きがいを見いだそうと努めましたが、道は開かれませんでし た。当時、私の抱いていた宗教観は、自分も弱いくせに、「宗教など、人生に敗れたものがするものだ」というものでした。そして、何かを信仰している人を見 ると、見下げた思いを持っていました。

死の問題については、少し時間がかかりましたが、教会に通ううちにイエス様が私の罪の身代わりとなり、十字架で死に、3日目によみがえって、私の罪と死の 問題を解決してくださったことを悟ることができました。そして、いつしか、死の恐れが完全に私の心の内から消え去っていたのです。今では、主イエス様が再 び来られる時、生きていても、また、死んでいても間違いなく、新しい天と新しい地に迎え入れてくださることを確信し、平安のうちに過ごしています。