綾 康輔牧師
サムエルはイスラエルの最後の士師として活躍し、年老いたので自分の代わりに裁き司を立てる必要がありました。そして、彼は自分の息子であるヨエルとアビヤを立てました。しかし、この息子達は父のような歩みはせずに、利益を求め、わいろを受け取り、裁きを曲げていました。
そんな彼らを見ていた長老達は、見るに見かねてサムエルに訴えに行きました。そして、自分達にも他の国々と同じ様に王を立ててくれと言う要請をしました。サムエルにとっては面白くない要請でしたが、神様の導きの中でサウル王が立てられていきました。しかし、サウル王は祭司がすべきであった全焼のいけにえを捧げた罪を犯してしまいます。それで、結局神様からも王位を退けられたので、再びイスラエルの王を立てる必要が出てきたのです。
そこで、主がサムエルに「ベツレヘム人エッサイの所に行きなさい。そこに私が立てる王がいる。」と命じられます。そして、エッサイの所に行き、彼の息子達を見ましたが、そこには相応しい器はいませんでした。その時、サムエルはエッサイに、「もう息子はいないのか。」と聞くと、「外で、羊の番をしている息子がいる。」と言います。父親であるエッサイも、末っ子のダビデには微塵も期待をしていなかったのです。しかし、神様はそのダビデを選ばれたのです。そして、彼に油を注いだのです。
私達人間と神様の考えは、こんなにも差があるのです。そして、ダビデは油注がれたからと言って、すぐに用いられたのではありませんでした。サウル王からは命を狙われ、結局はイスラエルの全体の王となるまでは、長い月日を必要としました。しかし、その様な時を経たとしても、神様の御心は変わりませんでした。(要旨)