ラベル 先週の講壇 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 先週の講壇 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年10月25日日曜日

先週(10/25)の講壇

「古いパン種を取り除き、誠実と真実の

種なしパンとして生きる」 

Iコリント5章6〜8節

 そのような流れを通して造られたのが宗教であります。この事が繰り返されると文化と言うものが生じてきます。教会の中にも文化が出来る訳です。これが古いパン種です。
 誠実とは明瞭と純粋と交じりのない、誠実で単純と言う意味があります。だから他の意図はない事です。真実とは、事実、真理、真実、本質という事です。誠実は単純さであり、真実は正直さです。隠したり、騙さないで正直に話す時霊的活性化となります。救いは単なる罪の赦しではなく、霊が回復され、神様との交わりの中を歩み続ける事です。(要約)

2026年10月18日日曜日

先週(10/18)の講壇

「満を持しての啓示」 

創世記17章15〜22節

 正に満を持しての神様の御言葉でした。しかしこの時アブラハムは心の中で神様のご計画に対して不信仰な思いを持って笑いました。
 神様は再び契約を思い起こすかの様に語られ、彼らの不信仰を叱責されるだけではなく肉的な思いで妻の女奴隷との間に生まれたイシュマエルに関しても祝福すると言う約束をされます。これは主の憐れみと慈しみを表された事です。私達も不信仰に陥った時も手取り足取り導いて下さるのです。(要約)

2026年10月11日日曜日

先週(10/11)の講壇

「不動の神の御心」 

創世記16章1〜6節

 そしてそのまま実行に移したのです。ハガルから子が生まれると主人であるサライを見下す様になり、サライはその状況が耐え難いものとなってしまいました。それでアブラムに訴えます。
 不信仰から出ていた行動だったので結局それは現在のイスラエルとアラブ諸国との争いの火種となってしまったのです。しかし神様の御心は決してその様なもので崩れたり変わったりするものではないのです。様々な出来事から目を避けるのではなく直視した上で執り成す事が大切なのです。
(要約)

2026年10月4日日曜日

先週(10/4)の講壇

「主がくださる恵み」 

創世記15章1〜6節

 しかし主は「その子ではなく、あなたから生まれる子が跡取りとなる。」と語られ、あの契約を思い起こすために空の星を見せてくださいました。それによりアブラムは再び信仰に立つことができるようになったのです。
 私達も様々な現状の中で信仰が萎えてしまう時がありますが、そのような時も主は手取り足取り導いてくださるのです。そして主のご計画されている道を歩むことができるのです。それは、すべて神様の憐れみであり慈しみなのです。(要約)

2026年9月27日日曜日

先週(9/27)の講壇

「霊は必ず共同体を作る」 

Iコリント5章1〜6節

 神様は最初から最後まで共同体を造っておられます。エデンの園では人を一人にされませんでした。イスラエルという民を造られました。イエス様は十二弟子を選ばれ、ペンテコステの日には聖霊が降り、教会が誕生しました。つまり、聖霊が働く所には、必ず共同体が生まれ「私中心」から「キリスト中心」の共同体へ導きます。
 霊は共同体の聖さを守られ、共同体全体を成長させられる方です。私達も「キリストを中心に歩み、」「愛をもって真理を語り」「教会を建て上げる者」となりましょう。(要約)

2026年9月20日日曜日

先週(9/20)の講壇

「敬虔で謙遜な歩み」 

創世記14章17〜24節

 そしてメルキゼデクは強い霊感を受け、アロンの班列を超越して祭司職を遂行したキリストのひな型として象徴されている方です。その方から祝福を受けたアブラムは十分の一を捧げました。それが「什一献金」の元となりました。
 またソドムの王がアブラムに「財産を受け取ってください。」と勧めた時に、彼はそれを拒み他の協力者達のことを気遣っていたのです。他の人の事を考慮できる謙遜な人物だったのです。私達も見倣っていきたいものです。
(要約)

2026年9月13日日曜日

先週(9/13)の講壇

「あなたは何で満たしますか?」 

創世記13章1〜9節

 更に、甥のロトとの関係がぎくしゃくし、それぞれの道に分かれて住まなければならない状況になります。そこでアブラムは甥のロトに選択権を譲ります。
 ロトとの関係から霊的戦いを経験したアブラムは遜ってロトに選択権を譲りました。痛い経験を通して信仰成長したのです。物質だけではなく信仰の面においても豊かになっていったのです。私達も様々な事を経験しますが、どの様な場合にも主の恵みと導きに従って謙遜に歩みたいものです。
(要約)

2026年9月6日日曜日

先週(9/6)の講壇

「とにかく祝福を与えたい神」 

創世記12章1〜7節

 その代わりにアブラムを大いなる国民とし、祝福となることを約束されたのです。それでアブラムはどこに行けば良いか分からずに出発したのです。
 そして主の確かな導きの中でカナンの地に入ったのですが、決して居心地の良い場所、歓迎されるような地ではありませんでした。むしろそこに定着できない状況でしたが、主がアブラムに現れて顔と顔を合わせたのです。主はアブラムに大きな憐れみと祝福をお与えになられたのです。(要約)

先週(8/30)の講壇

「肉と霊の違いーあらゆるもののかすとなっても」 

Iコリント4章12〜16,19〜20節

 また、侮辱されたら侮辱し返し、迫害されたら怒りや憎しみを抱き、仕返しをしようとします。霊によって歩む人は、悪を悪で返しません。相手の言葉をそのまま返すのではなく、愛をもって応えます。まるでスポンジが水を吸い込むように、相手から受けた痛みを受け止め、神様に委ねます。そして、その代わりに祝福と優しさを流していくのです。
 しかし、それこそが聖霊によって与えられる力です。肉で生きるなら争いや傷が広がっていきます。霊によって歩むなら平和が生まれ、人が生かされ、自分自身も神様の平安に満たされます。(要約)

2026年8月23日日曜日

先週(8/23)の講壇

「裁きの中にもある主の憐れみ」 

創世記11章1〜9節

 それは神様の目には「人の傲慢さ」にしか見えなかったのです。それまで人類が一つの言語でしかなかった事が原因であるとし、その言葉がお互いに通じない様にされました。
 一つの裁きの様に思えますが、これも結局人類をこれ以上罪の深みにはまる事がないよう、また完全に滅びる事がない程度に、何よりも神様の約束に立ち返るようにして、言葉を混乱させました。言葉が通じあう人同士で国々が形成されていったのです。裁きの中にも憐れみがある事を知るのです。(要約)

2026年8月17日月曜日

先週(8/16)の講壇

「霊によって生きることと肉によっていきること」 

Iコリント4章7〜13節

 それは、肉に従って歩む生き方と、霊に従って歩む生き方の違いを示し、霊に従う歩みへと立ち返るよう勧めています。肉に従って歩む人は、誇りや豊かさ、強さ、人から尊敬されることを求めます。肉は目に見えるものを基準にするからです。霊に従う人は、自分を誇るのではなく、いつもへりくだり、神をもっと知りたい、神にもっと近づきたいと霊的な飢え渇きを持っています。 
 また、自分の弱さを認め、人から理解されなかったり、軽く見られたりしても、それを受け入れます。この世のものに縛られない神を第一とします。(要約)

2026年8月9日日曜日

先週(8/9)の講壇

「必然の神様の御業」 

創世記10章25〜32節

 ハムだけが父の醜態を見て兄弟達に告発したのです。それがきっかけでハムは主から呪われてしまったのです。そこで祝福を受けたセムは今日の本文でもその系図が紹介されています。
 セムの子孫であるエベルは「渡ってきた者」と言う意味の名でカナンに渡ってきたアブラハムを想起させ、ヘブルの語源ともなったのです。また、その子ペレグ、ヨクタンの事が記されています。これは後のバベルの塔の事件で、言語がバラバラになり各国民ごとに分かれて行った事を示します。そこに神様の必然の御業が表されているのです。(要約)

2026年8月2日日曜日

先週(8/2)の講壇

「目に見える契約」 

創世記9章8〜17節

 それを通して、再び洪水によって滅びるのではないかと言う不安と恐れの中にあった人々に安心を与えたのです。そして、それはイエス様の十字架による救いを表していたのです。
 神様は一度契約を立てられたなら、どんな事をもってでもそれを覆す事はできません。神様の威信にかけて誓われた事を成し遂げられるお方です。その誠実なお方が十字架による救いをも揺るがないものにしてくださり、大きな恵みを注いでくださったのです。(要約)

2026年7月26日日曜日

先週(7/26)の講壇

「肉は外側を見て裁く、霊は内におられる聖霊様の働きを見て励ます」 

テサロニケ人への手紙第一2章4節、コリント人への手紙第一4章3〜5節

 それだけではなく、自分自身の判断さえも絶対視しません。自分もまた限界のある人間で完全ではないことを知っています。また肉は罪に定め、霊は励まし、人を生かします。肉の性質は、人を判断し、罪に定めようとします。
 しかし、霊は人を罪に定めません。反対に、人を励まし、認め、立て上げます。肉の特徴は、絶えず人を判断します。そして、その判断を基準にして「正しい」「間違っている」と人を裁きます。そして霊の働きには自由があり、人を生かします。私たちが神様の前に義と認められたのは、イエス様の十字架の血による恵みです。(要約)

2026年7月19日日曜日

先週(7/19)の講壇

「ノアの従順と信仰」 

創世記8章13〜22節

 箱舟の設計図も、箱舟に入る様にされた動物も、うしろの扉を閉じられたのも主だったのです。そして水が引いた後、箱舟から外に出るのもノアの考えは一つもありませんでした。
 半年以上の長い箱舟での不便な生活を終え、ようやく主のGOサインが出、外に出れる様になったのです。そしてそこで新たに産まれ、増える事を許されたのです。これら全ての過程の中でノアはまず祭壇を築き主に捧げ物を捧げたのです。何を優先すべきかを私達に示してくれたのです!(要約)

2026年7月12日日曜日

先週(7/12)の講壇

「洪水による神様の憐れみ」 

創世記7章11〜21節

 その中でもノアとノアの家族は神様に命じられて造った箱舟に入り込み、動物のつがいと共に命が守られたのです。それで人も動物も絶滅する危機からは逃れる事ができたのです。
 洪水は神の裁きですが正しいとされたノアとノアの家族は箱舟によって救われたのです。それは、新約のイエスキリストの十字架のひな型だったのです。私達も十字架の御業によって救いを受けたのです。(要約)

2026年7月6日月曜日

先週(7/5)の講壇

「主の心にかなったノア」 

創世記6章1〜8節

 しかしこのまま人が悪に染まっていく事を望まれませんでした。そして、同時に人がこれ以上長生きする事を望まれずにそれまで何百歳までも生きていた人達の齢が120歳までに縮められたのです。
 その様な中でもノアとその家族は主の目にかない、神様の裁きの洪水の時にも守られるという恵みを受けたのです。主と共に歩む者の幸いを私達に模範として見せてくださったのです。(要約)

2026年6月28日日曜日

先週(6/28)の講壇

「希望の源なる神」 

創世記5章24〜29節

 またメトシェラは969年の長寿を全うしました。レメクも777歳でした。今の時代からは想像も出来ない長寿でした。それは今と全く違う環境だったからです。
 またノアはレメクの息子として「慰め」、「安息」、「休息」などの意味を持つ名前を付けられました。それは当時の族長の歩みが辛いものであり、神の真の慰めや平安を求めていた事を映し出しての事でした。私達はその様な意味からも真の「希望」をくださる神様と共に歩む人生が最高の人生なのです。(要約)

2026年6月21日日曜日

先週(6/21)の講壇

「罪あるところに増す恵み」 

創世記4章1〜8節

 しかしアベルとアベルの捧げたものしか目を留められませんでした。カインは怒りに満ち一人しかいない弟を殺してしまいました。人類初の殺人事件を起こしてしまったのです。アダムとエバの罪が継承されていることを如実に表しています。
 そんな中で神様はカインが他の人たちに殺されない様にカインを守られたのです。重罪を犯したカインをかばう行為をされたのです。これは神様の憐れみであり慈しみが表されているのです。同じ様な憐れみと慈しみを私達もイエス様の十字架を通して受けているのです!(要約)

2026年6月14日日曜日

先週(6/14)の講壇

「とどまる(主の愛に)」 

ヨハネの手紙第一4章16節

 また「主の愛にとどまる」ことは、「ぶどうの木と枝」に例えられています。ぶどうの木(幹)であるイエス様に繋がっていることで必要な養分を得て多くの実を結ぶ事ができるのです。
 一度、イエス様を信じた者は主がその手をしっかり握って離さずにいるのです。それ故にイエス様の御言葉を通して必要な世王文を得る事ができるのです。この三つのステップを踏まれる皆様となる様祝福致します!(要約)