忍ヶ丘キリスト教会ブログ
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2025年9月7日日曜日
先週(9/7)の講壇
「サタンの恐れと誤算
」
ヨハネの福音書11
章46〜53
節
常にイエスに批判されていたパリサイ人や律法学者たちは常日頃からイエスをどうにかしてやろうと言う思いを持っていました。そしてそれはちょうどサタンがイエスを目の上のたんこぶと思っていた事、強いてはイエスを消してしまいたいと言う目論見と一致したのです。
そして、着々と彼らを用いてイエスを十字架につける運びとなっていったのです。しかし、それはサタンの誤算だけではなく神様の人類救出のご計画と一致していたのです。
これは神様の大きなご計画の中である意味でサタンにその様な機会を許したとも見えるのです。その様にしてまで神様はご自身の救いのご計画を成し遂げようとされそれを実現に至らしめたのです。
(
要約
)
先週(8/31)の講壇
「霊的戦い
」
ルカの福音書11
章36,40〜41
節
④偽善者のようにならないように:偽善というのは裏表が違うという事です。思いと態度が違う様な‘、違う話をしたり、ふりをしたり、これらは神様の霊に属していません。
⑤施しに用いる事:全然違う霊的話をしていたのに急に施しなさいと言います。施しは私達が考えているのとは違うという事です。この世を象徴するのはお金です。私達が誰かに分け与える時、肉体が一番渇望するそれを与える行為は単純に自分が持っている物をあげたという取引と言う行為ではなく、私達の内側にある渇望が共に消えていくのです。
施しをすると心がきよくなります。執着していたことから解放されます。救済をすると私たちの霊が目覚めて、透明になります。今週もまた経験できますように。
(
要約
)
2025年8月26日火曜日
先週(8/24)の講壇
「憤りを覚えるイエス
」
ヨハネの福音書11
章32〜42
節
ラザロが死んで後、姉妹のマルタとマリア、そして周辺の人々は深い悲しみの中にありました。そこにイエス様が遅れて来られました。イエス様はそんな彼らをご覧になって霊に憤りを覚えられました。
彼らの心にある不信仰を見て嘆かれたのです。その前にイエス様は「信じるなら神の栄光を見る。」と明らかにされていたからです。彼らはイエス様の語る御言葉を信じる事が出来ずにいたのです。
私達も御言葉が信じられない事が多いと思います。しかし、神様がなされる魂の救いと言う「奇蹟」を体験しているのです。正に聖書に登場してくる「奇蹟」そのものです。それ故に他の奇蹟をも体験する事が出来るのです。
(
要約
)
先週(8/17)の講壇
「霊的戦い
」
ルカの福音書11
章8〜14、20〜22、34〜36
節
今回は霊的戦いの②と③を見ていきます。②見る事①の聞くことと少し差があるのは、自分の意志を用いて注目し探すという事です。見るのは大体意志を働かせて見ています。見たくないとき目をつぶっていたら見えないのです。見るのは霊的なことと密接につながっています。霊に門を開けることです。
聞くのはその霊的環境の中に入ることですが、見るのは霊的門を開きます。聖書は、自分の体の明かりは目だと言っています。霊に対する象徴です。だから見ることを注意することです。「個人的においてのさらなる具体的な戦い」と言えます。③話すこと:これは祈りです。
さらに強い方、聖霊様が来られる時、霊的戦いに勝つことが出来ます。この語ることを通して私たちが霊的戦いをするようになります。霊の世界で語る言葉には力があります。私たちは肯定的な言葉を言いましょう!
(
要約
)
2025年8月11日月曜日
先週(8/10)の講壇
「イエスの神性
」
ヨハネの福音書10
章31〜38
節
イエスに対する見方が根本から間違っていたユダヤ人達にイエス様は律法の言葉を通して説得しようとしました。しかしあくまでも人間としか見ていない彼らは「神の子」と自称し神を冒涜しているイエスに対する殺意を持つ様になりました。
そこでイエスは自らが父なる神の御心を行っている事を強調されました。そして父なる神とイエスが三位一体の主である事を明らかにされたのです。
この様にしてイエスを偉人の一人くらいにしか思えない人は救いから遠ざかっていると言えるのです。そこで聖霊様の助けと導きによってイエスが救い主であると信じる様にして頂く必要があるのです。
(
要約
)
2025年8月5日火曜日
先週(8/3)の講壇
「良い牧者イエス
」
ヨハネの福音書10
章11〜18
節
良い牧者は羊のために命を捨てます。それはイエス様が正に自らの体を通して十字架によってお示しになられた事です。私達はその方の声を聞き分け、従っていくのです。
そうする事が私達にとって最も安全で安心だからです。その様に歩む時に私達はたとえどんな境遇にあっても揺れ動く事なく歩む事が出来るのです。
そして今度は私達が安全・安心の囲いの外にいる迷える羊達を囲いの中に誘う必要があるのです。一人でも多くのヴィップが安全・安心の囲いの中で憩う事が出来る様に力を頂き歩みましょう!
(
要約
)
先週(7/27)の講壇
「霊的戦い
」
ルカの福音書11
章1,8〜14,20〜22,32〜36
節
クリスチャンの土台となっている信仰は見える世界が全部ではなく見えない世界があります。見える世界は言葉の通り私達が認識して歩んでいる自然の世界、物質の世界です。見えない世界も目に見える世界のように実際的で本当の世界です。
神様の霊だけではなくこの世の霊があるのです。霊とは結局渇望の話です。霊が私たちの内に臨むと何かに対して渇望を起こします。この世の霊と呼ばわる理由は、世にある何かに渇望を起こすと言うことです。
霊的戦いと言うのは、究極的に渇望に対する戦いです。私たちが何を渇望するかに対する戦いであります。強いものをもっと強いものが来て縛り上げる。霊的戦いは聖霊様がなさいますが私達の体を用いて霊的世界に影響力を及ぼす事が出来ます。聞く事、見る事、話すこと、施すなどです。
(
要約
)
先週(7/20)の講壇
「神の声を聞く
」
サムエル記第一3
章1〜10
節
不妊だったハンナが神様に子を与えて下さる様に切に祈っていました。そして与えられた際には神様にお捧げすると誓いました。神様はその求めに答えられサムエルを与えて下さいました。
サムエルは士師としてイスラエルを裁きました。その歩みはいつも主と共に歩み、主との交わりを何よりも優先していました。それゆえに彼は神様の御声を聞く歩みが出来ました。その信仰姿勢は母ハンナから受け継いだ部分もあったのです。
私達も神様との交わりを深めていくときに神様の御心を知り、行うことが出来るのです。そのためには毎日
1
日の初めの時間を主に捧げて交わりをするデヴォーションの歩みを習慣付けましょう。
(
要約
)
2025年7月15日火曜日
先週(7/13)の講壇
「逆転を経て神のご栄光
」
ヨハネの福音書9
章1〜7
節
生まれた時から目の不自由な人がいました。その人のところにイエス様が来られた時、一緒にいた弟子達がその人のことを見て「この人の罪のせいですか?それとも両親の罪のせいですか?」と聞きました。
しかしイエス様はその様なものではなく神の栄光が現されるためであると語られました。そして、イエス様はその人に唾で作った泥を目に塗りシロアムの池で目を洗う様に命じられました。
その通りにしたその人は目が見える様になる奇跡を体験したのです。イエス様のご命令に従ったからです。そして、私達も同様にイエス様の御言葉に従う時に様々な逆境の時にも逆転の御業を体験する事が出来るのです。
(
要約
)
2025年7月9日水曜日
先週(7/6)の講壇
「真理は自由にする
」
ヨハネの福音書8
章31〜38
節
イエス様はご自身を信じる者は真の自由を味わう事を語られました。そして逆に信じない者は罪の奴隷になっていると厳しい言葉を語られました。
更にユダヤ人達が先祖からの律法に関する教えを守って来た事は認めた上で、それはあくまで肉の父から聞いた事であるがご自身は父なる神様のもとで見た事を語っている事を強調されました。
これはイエス様ご自身が父なる神様から遣わされたお方であり、イエス様を通してでしか父なる神様の下に行く事が出来ない事を語られたのです。私達もイエス様を通して真の自由を味わう事が出来る恵みの中に入れられたのです。
(
要約
)
2025年7月1日火曜日
先週(6/29)の講壇
「②霊は魂と肉を支配する
」
コリント人への手紙第一2
章12〜16
節
人間の構造は霊、魂、体
(
肉
)
があります。霊の部分は神を知覚する。良心、直覚、交わりです。魂の部分は自己を知覚します。魂の機能は、知情意です。私達の知を刺激し探し、調査し追求するようにします。体
(
肉
)
は五つの器官がある。
五つの感覚五感:①視覚②聴覚③嗅覚④味覚⑤触覚です。この世の霊は強盗であり、抑圧し、奪い、強奪します。楽しい感情となり支配されてしまいます。聖書は悪魔に機会を与えないよう、もっと強い方聖霊様に頼るようにと言っています。霊が解放され霊によって生きるとき正常なクリスチャンになれます。
私達は神様以外の何かの働きがある事を覚えたいのです。同じ人から二つの働き、御心を行う時と自分中心的、悪魔の働きがあるのです。だから私達は目を覚まして祈る事が必要なのです。
(
要約
)
2025年6月23日月曜日
先週(6/22)の講壇
「キリストの光
」
ヨハネの福音書8
章12〜18
節
四福音書の中でもヨハネは「光」として来られたイエス様を強調しています。それは闇であるこの世に「光」として世を照らすために来られたからです。
その中でイエス様は人々にその事を話すと彼らはイエス様の語る事に対して反論を繰り返します。イエス様をただの人としてしか見ていないため、イエス様の語る事は全て信ぴょう性がないと言う理論でした。
しかし、イエス様は父なる神様と同一の神である事を語られました。そして、旧約の教えを引用しつつ彼らを論破されました。それでも納得がいかないパリサイ人達は続けて反論しました。私達はキリストの「光」を反射させる歩みを通して目には見えない神様をこの世に示していくために造られ生かされているのです。
(
要約
)
2025年6月18日水曜日
先週(6/15)の講壇
「いのちの水イエス
」
ヨハネの福音書7
章33〜39
節
イエス様が宮で教えられていた時、パリサイ人や群衆はイエス様を捕らえようと下役達を遣わしました。しかし、イエス様はそれを察知し「わたしを捜すが見つけることも、わたしがいるところにも来る事は出来ない。」と語られました。
それは十字架の御業を終えて天に凱旋される事を暗示していたのです。更に、「わたしのもとに来て飲みなさい。」と語られました。それは生ける水がその人の内側から溢れ出る様になると言う意味だったのです。
そして、やがて父なる神様がご計画されていた通りに、キリストを信じる者にはもう一人の助け主である聖霊が注がれる事を語られました。その様にして荒野の様な人生の旅路の中で、クリスチャンとして歩む事が出来る様になるのです。
(
要約
)
2025年6月10日火曜日
先週(6/8)の講壇
「わたしの霊を注ぐ
」
ヨエル書2
章28〜29
節
南北に分断されていた時の南ユダ王国の王ヨアシュの在位の初期の頃、紀元前
830
年頃に活動していた預言者ヨエルによって記録されたのは、やがて主の霊を注ぐと言う預言でした。
そして、その預言が現実のものとなったのは今から二千年前でした。主イエスを信じる者達の上に炎の様な舌が現れて一人一人の上に留まる聖霊降臨が起きたのです。この時から教会が誕生したのです。
主イエスを信じる者には誰でも聖霊が心の内側に住んで下さるのです。聖霊様は更に祈りを導き、神の愛を伝える通路としての役割、御国へ入るための保証となられるのです。これらの素晴らしい御業はまず福音を聞く事から始まるのです。更に多くの人が主イエスを信じ聖霊の内住の恵みに与る事が出来る様に邁進しましょう!
(
要約
)
2025年6月2日月曜日
先週(6/1)の講壇
「渇きは正常な反応
」
ヨハネの福音書4
章13〜23
節
サマリアの女性は人生に疲れ切ってその魂はからからの渇ききった状態にありました。そんな彼女にイエス様は「水を飲ませてくれ」と言いました。そして、イエス様は彼女に永遠に渇く事のない水がある事を伝えます。
彼女はそれを求めますが、イエス様はそんな彼女に「夫をここに連れて来なさい。」と命じます。彼女は今一緒にいる人も過去の人もみな夫ではない事を明かします。
自分の過去を言い当てたイエスは特別な人に見えました。更にイエス様が「わたしを信じなさい。」と言う言葉にイエス様を信じる様になります。その様にして永遠に渇く事のない水を受け取った彼女は町に出ていってイエス様の事を伝えたのです。それでサマリアの多くの人達がイエス様の事を信じる様になったのです。
(
要約
)
2025年5月27日火曜日
先週(5/25)の講壇
「この世の霊
」
コリント人への手紙第一2
章12〜16
節
神様の霊以外にも他の霊があります。目に見える世界と私たちの内面で起こる魂の部分だけの作用だけを考えるなら、霊的戦いを理解する方法も、戦うすべも知りません。
人間は他の霊を受け入れる存在であり、目に見える肉体の中に霊が宿ると言う特別な存在です。人間の意志の選択によって神様の霊である聖霊を受け入れることも、反対にこの世の霊を受けいれることも出来ます。霊というのは私たちの内に臨む時、何かに対する渇望を起こし、その渇望は私たちを動かす
(
探し、追求する
)
基本的な力になります。ずっと追求すると中毒になっていきます。
汚れた霊
(
淫乱など
)
が働くと、性的渇望を起こし幸せを感じ満足します。宗教の霊、権力の霊、マンモンの霊
(
シリヤの財貨の神
)
、同性愛、人本主義、共産主義などこの世の霊とは神様に属していないすべてを総括したものです。
(
要約
)
2025年5月20日火曜日
先週(5/18)の講壇
「永遠の命を持つこと
」
ヨハネの福音書3
章31〜36
節
ユニバとか
DL
などの遊園地などでは年間パスなどでお得に利用出来るものがあります。最初にある程度の支払いをするだけで年間で何度も利用出来るメリットがありお得に楽しめます。
それでもこの地上で楽しむ限定されたものです。しかしイエス様のうちにある永遠の命は年間どころではなく永遠に有効なパスなのです。
イエス様を信じた時に永遠の御国に入るための聖霊の証印が押されるのです。それによって確実に御国に入るための保証書となるのです。まだそのパスを受け取っていない方達にも確実に受け取って頂ける様に執り成し、仕えていきましょう!!
(
要約
)
2025年5月13日火曜日
先週(5/11)の講壇
「新たに生まれる方法
」
ヨハネの福音書3
章1〜12
節
サンヘドリン議員の一人であったニコデモは、永遠の命に関してイエス様のところに人目を避けて夜に尋ねて行きました。そこでイエス様に聞いたのは、「水と御霊によらなければ天の国を見る事は出来ない。」というものでした。
その事を全く理解出来ないニコデモでした。彼には霊的な覆いが掛けられていたのです。中々救いに至らない人にはこの様にして霊的な覆いが掛けられているのです。それでその覆いを取るには愛を持って執り成し、仕えて行く事で心を開く様にする必要があるのです。
その様にしていく時に聖霊様はその人をキリストの元へと導いて下さるのです。そして新たに生まれる体験をする事が出来るのです。私達も先に救われた者達としてその様にヴィップの救いの為に邁進しましょう!
(
要約
)
2025年5月8日木曜日
先週(5/4)の講壇
「イエスの初奇跡
」
ヨハネの福音書2
章1〜11
節
ガリラヤのカナで婚礼がありました。そこにイエスと母マリアも参加していました。そこで一つのトラブルが発生しました。婚礼で重要なぶどう酒が底をついたのです。
母マリアはイエスにその旨を伝えると、イエスは「あなたと私と何の関係がありますか」と語りました。イエスはこれからは母マリアの子どもとしてではなく、父なる神様の子どもである事を明らかにされようとして語られたのです。
イエスは給仕の者達に水がめいっぱいに水を汲む様に命じられました。そして
6
つの水がめがいっぱいに入れられました。それを世話役のところに持っていくと上等なぶどう酒に変えられていたのです。この様にして神の子としての奇跡を初めてなされたのです。
(
要約
)
先週(4/27)の講壇
「神の深みさえも探られる方
」
コリント人への手紙第一2
章6〜10
節
知恵には二つの知恵があります。この世からのものと霊によって上から臨まれる神様の知恵があります。この世の知恵とは目で見て、耳で聞き、心の思いからきます。神様の知恵は内におられる聖霊が与えて下さる事です。
言葉を変えて言うなら私達が霊によって歩む事が出来ないのは自分という魂の部分である目で見、耳で聞き心の思いによって縛られているからです。だから霊的な事を知る事が出来ないのです。魂というのは常に自己中心的に生きようとするからです。
霊によって生きる事は、目に見える状況
(
苦しみ、死、絶望
)
では希望がないように見えても、神様はその背後に深いご計画を聖霊を通して示されます。全ての選択は私達に委ねられています。自分の知恵や力が砕かれ聖霊によって生き、主に用いられるお一人一人となります様に。
(
要約
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