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2010年5月17日月曜日

牧師室からシャローム(^^)/②

「合同婦人の集い」に牧師として初参加して~

 今回はもう29回を数えると言う、長きに亘って行われてきた婦人の集いであるが、私は初めての参加もあり最初は戸惑いも覚える事が無きにしもあらずであった。
 そんな中で14日の朝、電車で行く人、自転車で行く人、車に便乗していく人達に分かれて、一路、上野芝へと向かった。
 私は初めての上野芝にも関わらず、消防車?!(車が真っ赤なので…)を運転して、家族4人(長男は学校のため欠)、城谷先生、慎姉妹、谷森姉妹、佐藤姉妹を乗せて出発した。大きく迷う事なくカーナビの導き?!聖霊の導き?!によって、無事に上野芝教会に到着した。

 10時半から前奏の元に集会は始まった。続けて舛田基一先生の奥様、琴美姉妹が司会をし、そのリードで1曲会衆賛美。そして司会者の祈り。祈りが終わるといよいよ我が忍ヶ丘キリスト教会の婦人聖歌隊の素晴らしい歌声で、会場いっぱいに主の臨在とご栄光が現される時となった。
 続いて司会者の聖書朗読があり、今回のメインスピーカーである俣木聖子姉妹の登場である。
介護と言う地味な働きの中に働かれた主の御業が証しされ、彼女のユーモアある口調に、皆が大きな口を開き笑いの絶えない講演となった。
 神様のなされた御業の中で、祝福されたシャローム(俣木ご夫妻が運営する介護支援事業の会社)は現在300人を越えるスタッフの中で、神様のご栄光のために成長した事を聞いた。これからは、シャロームが福音が伝えられる所として更に用いられる事を個人的に願った。

 そして、献金、感謝の祈りの時が持たれ、午前の部が終わり食事の時間を持った。食事が800円。「高い弁当だ!?」と思っていたが、それもそのはず。全てが有機栽培の材料を使っての弁当だそうだ。
 一時間の休息はあっと言う間に終わり、午後1時半から午後の部が始まった。午後は上之郷佐千子姉妹の賛美があり、これまたプロ顔負けの熱唱ぶりで聴衆を魅了したのは言うまでもない。私達でさえ魅了するのだから、この賛美を受けられる神様はどれだけ喜ばれるか分からない。

 午後も、これからのシャロームに与えられている使命と、今現在家で介護をしている方達に対する励ましと慰めの言葉もあり、これからの高齢化社会に対応出来るべく、心構え等を語られた。食事の後の午後の講演とあり、睡眠受講の人もいた(^^;中であったが、とても有意義な時を持つ事が出来た。
 今回の集会を通して、これからの教会も高齢化社会の中でどの様なケアが出来るか問われているような気がしてならなかった。神様の愛がその様な方々にまで届くような牧会が可能なのか、これからの日本のキリスト教界が問われる所であろう。
 来年は萱島キリスト教会を会場になされ、もう既にメインスピーカーも決まっているそうだ。来年も合同婦人会に相応しい集会になるよう主に期待したい。と同時に同じ教団内の交わりが、この様な集会の他にも、起こされる事を願いつつ。はれるや!!

文責:綾康輔

2010年4月4日日曜日

牧師室からシャローム(^^)/①

ハレルヤ!! 主の御名を賛美します♪

「そして、彼らに言われた。『実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」ルカの福音書10章2節

 私は小学五年の時にイエスキリストを心にお迎えしました。そしてその時、同時に「将来、神様の働きをしなさい。」と召命を受けました。もちろん、この時は右も左も分からない子供でしたが、神様の召命は変わりありませんでした。32歳の時に、「今、行動に移れ!!」と言う御言葉を掛けられ、神学校に行く事を決めました。
 神様の導きの中で、韓国にある神学校に通う事になりました。神学校の神学大学院で在学中に、地球村教会の日本語礼拝部を任命され5年間、訓練の時を持つ事になりました。韓国で奉仕している間中、「神様、いつ日本に遣わして下さるのでしょうか。」と聞く事が私の大きな祈りの課題でした。
 そんな時に知り合いの先生から、「後任牧師を探している教会があるので履歴書送ってみたらどうだ。」と言うお誘いの声がありました。そして、神様の不思議な導きによってこの足りない私が、忍ヶ丘キリスト教会の後任牧師として任命されました。
 上の御言葉が神様が与えて下さった召命の御言葉でした。まだまだ足りない所だらけの私ですが、神様の導きと助けによって教会の祝福と成長のために仕えさせて頂きます。
 ぜひ、イエスキリストを頭とした忍ヶ丘キリスト教会に通って見ませんか。これを読まれているお一人お一人に、イエスキリストからの祝福と恵みを味わって頂きたいと思います。シャローム!!
2010年4月4日 イースター(復活祭)を記念して、書斎にて。
綾 康輔

2009年9月17日木曜日

【証し】 死の恐れから救われて(城谷定利牧師)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28)

わたしが生まれて初めて、キリスト教会に導かれたのは、1964年9月22日でした。会社の帰途、駅前の路傍で配られていた一枚の特別伝道集会の案内に よってでありました。当時25歳でしたが、人生に何の希望も持っていませんでした。自分の性格の暗さに悩み、人と順応して生活できず、いつも孤独でした。 その上、死の恐れにとらわれながらも幾度か自殺したい気持ちになったこともあります。しかし、死にきれず、そうかといって生きることもつらい毎日でした。
そのような状況から抜け出たいとある時は仕事に打ち込み、読書やまた、パチンコや快楽などで生きがいを見いだそうと努めましたが、道は開かれませんでし た。当時、私の抱いていた宗教観は、自分も弱いくせに、「宗教など、人生に敗れたものがするものだ」というものでした。そして、何かを信仰している人を見 ると、見下げた思いを持っていました。
 しかし、私の心は、何かに救われたい、何かに頼りたい、という気持ちでいっぱいでした。一枚のチラシを便りに、恐る恐る教会に足を運んだのです。それまで の教会のイメージは、静かで上品で清い生活をしている人だけが、集まる場と思っていましたから、とても敷居が高く、私とは関係のない所だと思っていまし た。ところが、教会に入り、青年たちが「ただ信ぜよ、ただ信ぜよ、信ずるものはたれもみな救われれん」(聖歌424番)と元気よく歌っているのを見て、そ のようなイメージは吹き飛んでしまい、いつしか自分も一緒に歌っているのでした。メッセージの内容は忘れましたが、冒頭の聖句と「ただ信ぜよ」の歌が印象 に残りました。決心者を募られたので、わらをもつかむ思い出手を上げ、前に出て、主イエス様を信じて心の中に受け入れました。
死の問題については、少し時間がかかりましたが、教会に通ううちにイエス様が私の罪の身代わりとなり、十字架で死に、3日目によみがえって、私の罪と死の 問題を解決してくださったことを悟ることができました。そして、いつしか、死の恐れが完全に私の心の内から消え去っていたのです。今では、主イエス様が再 び来られる時、生きていても、また、死んでいても間違いなく、新しい天と新しい地に迎え入れてくださることを確信し、平安のうちに過ごしています。