2024年7月24日水曜日

先週(7/21)の講壇

「5千人の給食の奇跡」 

ヨハネの福音書6章5〜13


 イエス様はご自身がメシア(救い主)である事を5千人の給食を通して奇跡をお示しになられました。それは正にご自身が憐れみの主である事と、いのちのパンである事を示されたのです。
 主は今も生きて働かれておられます。そして今も奇跡の御業をなされるのです。最終的にはその御業をこの奇跡の時と同じ様に幼い子どもの小さな献身によりなされるのです。

私達も主に自らを捧げる事で主の奇跡の御業のために用いられるのです。そして更に主の御心である魂の救いと弟子作り(キリストのからだを建て上げる)に用いられる事が出来るのです。(要約)

2024年7月18日木曜日

先週(7/14)の講壇

 また12年の長血を患っていた女の人の癒しの出来事も同時に記録している本文はどちらも癒され方は異なっていてもイエス様の癒しの御力を体験した二人でした。そこにはイエス様に謙遜に癒しを求める姿勢と願いを持ってイエス様に求める時に癒しがなされたのです。
 各々に相応しい癒され方がある事を如実に物語っています。そしてその事は信仰の現れであると言っても過言ではないのです。私達に与えられている信仰が更に成長する事が出来る様に日々の信仰生活の中で養われたいものです。(要約)

先週(7/7)の講壇

「奇跡とは主と共に歩むこと」 

マルコの福音書4章35〜41

 イエス様は弟子達を訓練するために夕刻に舟を出して岸に行く様に命じられました。そしてしばらくすると嵐が起こり舟は大揺れに揺れ水も入ってきました。
 命の危険を感じた弟子達は眠っておられたイエス様を起こします。ようやく目を覚まされたイエス様は風を叱りつけ、湖に鎮まる様に命じられました。するとその様になったのです。
 更に弟子達になぜ怖がるのかと信仰がない事を指摘されました。イエス様がそばにいるのになぜ怖がるのかといわれていたのです。私達も様々な恐れや不安になる事もありますがその様な時こそ共におられる主を体験するチャンスなのです。そしてそれこそが奇跡の歩みなのです。(要約)

2024年7月3日水曜日

先週(6/30)の講壇

「わたしの霊によって」 

ゼカリヤ書4章1〜14節

 4章の幻は王の様な働きに対する啓示です。罪人である私達を神様はただ恵みにより救われ、義と認められました。でも私達は無気力で、例え身分は義人とされていても、聖さにおいては誰も神様が立てておられるその基準には至る事は出来ません。
 では私達はどの様にすれば良いのかです。その結論は、自分達の何かではなく上から臨まれる聖霊の力によって生きる事が出来るのです。ゼカリヤが見た二つのオリーブの木は、大祭司的で王の様な使命をやり遂げる神様の前で真実な人達を意味します。その人達を通して聖霊の働きがこの地に流れて来るのです。
 神様はこの様な人達を探しておられます。彼らを通してこの地に神様の働き、聖霊様の働きをなさるのです。皆様の内に聖霊様が共におられます。私達は聖霊様の通路となる人達です。(要約)

2024年6月26日水曜日

先週(6/23)の講壇

神の霊が宿った人」 

創世記41章38〜43節

 ヨセフは王のしもべのポティファルの手に渡り、その後ファラオ王のところに知らせが伝わりました。ヨセフに神の霊が宿っていると告白せざるを得なかったのです。
 そしてやがてファラオから国を任せられる様になったのです。そしてファラオはヨセフの事を皆に知らしめたのです。
 そこまで主がヨセフを引き上げて下さったのは神様のご計画の中にあった事であり、ヨセフと共に歩まれていたからです。私達も聖霊の内住の恵みに与った者達として、例えどんな不安や恐れの中でも大胆に歩む事が出来るのです。(要約)

2024年6月18日火曜日

先週(6/16)の講壇

主の摂理は今でも!」 

創世記37章26〜36節

 ヨセフは兄達に憎まれイシュマエル人に売り飛ばされました。そして最終的にはイシュマエル人の手からファラオ王のしもべのポティファルの手に渡ったのです。
 そして、そこで気に入られてファラオの目にも止まり大臣の座にまで就く様になります。その事を通してヨセフは家族達のいのちを救うことになるのです。
 その中にはイエス様の生まれる直系のユダも含まれていたのです。もしヨセフがファラオの元で大臣になっていなかったのであればヨセフの家族はもちろん、ユダも飢饉によっていたのであれば息耐えて救い主が誕生することもなかったのです。主の摂理がそこにあったのです。現代を生かされている私達の歩みも主の摂理の中にあるのです。
(要約)

2024年6月12日水曜日

先週(6/9)の講壇

変えられる秘訣」 

創世記33章3〜11節

 散々兄エサウを出し抜いて来た弟ヤコブでしたが、主に出会い変えられていきました。そしてエサウにも遜る事が出来る様になりました。
 エサウが400人の人を引き連れてヤコブを出迎えに来た時も謙遜の限りを尽くして、しかも贈り物も備えて迎えたのです。ヤコブが心配する以上に主が守りを与えて下さったのです。

 そんな姿を見たエサウはヤコブと抱き合い涙したのです。主に出会ったヤコブは変えられ兄との和解を体験出来たのです。私達も本当の意味で主に出会う時に変えられるのです。(要約)

2024年6月5日水曜日

先週(6/2)の講壇

ヤコブの体験」 

創世記28章16〜22節

 ヤコブは兄エサウから命を狙われながらも父イサクから嫁を探す様にと叔父のラバンのところに行く様に命じられ移動していました。その時に夢の中で主が現れたのです。
 そして、その中で主はヤコブとヤコブの子孫にこの地を与える、またそのことがなされるまで決して見捨てないと約束されました。それは大きな祝福でした。
 ヤコブはその出来事を通して主が共におられるご臨在に触れて記念として枕にしていた石を立てて油を注ぎました。私達も主のご臨在を感じ、主と共に歩む道を更に進んで行きましょう。(要約)

2024年5月30日木曜日

先週(5/26)の講壇

イエス様の様々な御姿」 

ゼカリヤ書3章8〜10節

 イエス様は一つの石です。詩篇記者は歌っています。「あなたこそ私の巌 私の砦。滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった。」と。
 私達の歩みがどこに行けばよいのか、行ってはいけない所も知っておられる完全な知恵を持っておられるお方をほめたたえています。若枝としてのイエス様が私達の内に臨まれる時、新しい事が開かれ行なわれるのです。宮を再建する者には新しい事が行われ、全てが新しくなる特徴があるのです。また喜びと平和を与えて下さるお方です。
 関係の回復として何よりも神様との関係を再び回復させて下さいます。それだけではありません。人々との関係も回復に導かれます。憎しみや不満が愛と感謝に変わって行くのです。神様は私たちを用いて御自身を表されます。約束された全てが経験出来る私達であります様に。(要約)

2024年5月22日水曜日

先週(5/19)の講壇

聖霊による終末的なお働き」 

使徒の働き2章12〜21節

 五旬節は過ぎ越しの祭りを記念する日から50日目を記念し感謝する大切な記念日でした。新約時代に入りイエス様がご昇天されて後、預言通りに聖霊が降りました。
 この日を記念して五旬節、即ちペンテコステと呼ばれるようになったのです。そして、この日は教会が誕生した日でもあるのです。
 そして、当時の人達に聖霊が注がれて預言や異言を語ったのです。それは、聖霊降臨以降は聖霊の思うままに与えて下さる賜物があるからです。私達も聖霊が与えて下さる霊的な賜物を求めて、キリストのからだを建て上げるために用いていきましょう!!(要約)