2026年6月8日月曜日

先週(6/7)の講壇

「肉は人を霊は神を意識する」 

コリント人への手紙第一4章1〜6

 またコリント人への手紙は肉によって歩んでいる聖徒たちに叱責をしている書でもあります。肉の思いによって、霊的とは関係なく自分の頭で考え、世的に思い、世的計画の生き方をしているという事です。このような生き方は霊的歩みとは何の関係もないのです。霊によって歩めるよう勧めています。
 忠実に生きる人の霊は強くなります。この忠実と言うギリシャ語の意味は信仰と言う意味でもあります。信仰のない人は風が吹き飛ばす籾殻だと聖書は言っています。これは肉的な人の特徴であります。神様の前で、人の前で与えられたビジョン、約束をどのように進んでいるのか、これが霊性であり信仰です。(要約)

2026年5月31日日曜日

先週(5/31)の講壇

「神様の守りと導き」 

出エジプト記13章21〜22

 聖さがある時主の守りがあります。そして勝利に導かれるわけです。自由と解放が与えられ、カイロスの時空間が臨まれる時癒しが起きます。自由、解放、癒し、奇跡などです。イエス様の御業です。信じるにできない事はありません。 
 しかし、天が開くと言うのは理論ではありません。経験です。これは神様の約束ですから今、天からしている事の合図なのです。何をしていいか分からない時、私達はクロノスの時空間の中でどの道か分からないまま、あちらこちらと回るしかないのですがその時に思い出して欲しいのです。(要約)

2026年5月24日日曜日

先週(5/24)の講壇

「憐れみに満ちた神」 

創世記3章8〜15

 またエバにも同様にして「なんということをしたのか」と問われました。一見すると叱責するだけの神様に見えますが実はこれは「悔い改め」を促す神様の憐れみの掛け声だったのです。
 しかし残念なことに彼らは悔い改めるどころか、お互いに責任転嫁をしていたのです。罪が入ってきて神様との関係も、夫婦の関係も崩壊してしまったのです。そのような罪からの解放のためにイエス様は十字架の御業を完成してくださったのです。(要約)

2026年5月17日日曜日

先週(5/17)の講壇

「元祖美しい家庭」 

創世記2章18〜25

  神様は一人でいるアダムに「助け手」を見つけるように動物達を連れてこられました。しかし当然ながらそこには相応しい助け手はいませんでした。
 そこで神様はアダムを深い眠りに落とし肋骨を一つ取りその穴を肉で塞がれ、肋骨でエバを造られたのです。ここに史上初の夫婦を造られたのです。
 しかし罪によって神様から離れてしまい互いに裸だった事を恥じるようになったのです。罪が入り込んできて様々な面で崩壊してしまったのです。神様の憐れみによって回復して頂く必要があるのです。(要約)

2026年5月10日日曜日

先週(5/10)の講壇

「創造のスタート」 

創世記1章26〜31

 最初の人、アダムとエバに命じられたのはあらゆる動植物を支配(治める、管理)する様にその任務を委ねられました。しかし罪を犯して依頼その任務は無秩序になり、崩壊し始めたのです。
 更に、その表れとして元々あらゆる動物も人も草食動物として造られましたが、やがて血を流す事が伴う肉食に変わっていったのです。しかしこれはやがて来たる千年王国には回復されるのです。(要約)

先週(5/3)の講壇

「愛の現れ」 

ヨハネの福音書21章15〜19

 しかしそんな彼の弱さをご存知のイエス様は、二度目までは「アガペーの愛(無条件の愛、見返りを期待しない愛)で愛するか。」と聞かれましたが、三度目は「フィレオーの愛(兄弟愛)でもいいから愛してくれないか。」と聞かれたのです。
 そこには、ペテロを赦すイエス様の愛が現されていたのです。同様にして私達の弱さをご存知でそれを上回る主の愛と力で覆って下さるのです。その様な愛で生かされているお互いなのです。(要約)

2026年4月19日日曜日

先週(4/19)の講壇

「イエス様を慕い求める」 

ヨハネの福音書21章3〜11

 夜通し漁をしても一匹も捕れませんでした。そんな中意気消沈していた所に岸辺からイエス様が声を掛けられました。しかし、彼らはそれがイエス様と気付かなかったのです。
 再び船の右側で網を下ろしなさいと言う言葉に従った時大きな魚で網が破れそうになった奇跡を味わったのです。夜通し漁をしても一匹も捕れなかった事、イエス様の意御言葉に従った時に豊漁と二度の奇跡を味わったのです。この様に、イエス様の御言葉に聞き従う時に奇跡は起こるのです。
(要約)

2026年4月13日月曜日

先週(4/12)の講壇

「見ずに信じる者の幸い」 

ヨハネの福音書20章24〜31

 その後にトマスがいるところでもう再び現れました。そしてトマスが語った様にイエス様は手と足と脇腹をお見せになり「見ずに信じる者になりなさい。」と語られました。
 何かトマスが不信仰の代名詞みたいな感じがしますが他の弟子達も一緒でした。また私達もその様な弱さがあります。しかし神様はそんな私達を憐れんで下さり、肉眼で見たわけではないのにイエス様を信じる信仰を与えて下さったのです。(要約)

2026年4月8日水曜日

先週(4/5)の講壇

「揺るがない事実」 

ヨハネの福音書20章12〜20

 しかし今日の本文で三つの証拠が記録されています。それはご復活の主イエスご自身がマリアに現れた事。そしてその他の弟子達にも現れた事。最後にイエス様が手足に釘を打たれ、脇腹に突かれた槍の後を見せられた事です。
 イースターはこの事実を共に祝う映えある日です。これらのことを信じるのは人の知恵や理性では無理なことです。神様が与える「信仰」によってのみ可能なのです。そして生まれつきの人には備わっていないのです。神様が信仰を与えて下さることで初めて目に見えない事を確信する事が出来るのです。(要約)