2026年10月4日日曜日

先週(10/4)の講壇

「主がくださる恵み」 

創世記15章1〜6節

 しかし主は「その子ではなく、あなたから生まれる子が跡取りとなる。」と語られ、あの契約を思い起こすために空の星を見せてくださいました。それによりアブラムは再び信仰に立つことができるようになったのです。
 私達も様々な現状の中で信仰が萎えてしまう時がありますが、そのような時も主は手取り足取り導いてくださるのです。そして主のご計画されている道を歩むことができるのです。それは、すべて神様の憐れみであり慈しみなのです。(要約)

2026年9月27日日曜日

先週(9/27)の講壇

「霊は必ず共同体を作る」 

Iコリント5章1〜6節

 神様は最初から最後まで共同体を造っておられます。エデンの園では人を一人にされませんでした。イスラエルという民を造られました。イエス様は十二弟子を選ばれ、ペンテコステの日には聖霊が降り、教会が誕生しました。つまり、聖霊が働く所には、必ず共同体が生まれ「私中心」から「キリスト中心」の共同体へ導きます。
 霊は共同体の聖さを守られ、共同体全体を成長させられる方です。私達も「キリストを中心に歩み、」「愛をもって真理を語り」「教会を建て上げる者」となりましょう。(要約)

2026年9月20日日曜日

先週(9/20)の講壇

「敬虔で謙遜な歩み」 

創世記14章17〜24節

 そしてメルキゼデクは強い霊感を受け、アロンの班列を超越して祭司職を遂行したキリストのひな型として象徴されている方です。その方から祝福を受けたアブラムは十分の一を捧げました。それが「什一献金」の元となりました。
 またソドムの王がアブラムに「財産を受け取ってください。」と勧めた時に、彼はそれを拒み他の協力者達のことを気遣っていたのです。他の人の事を考慮できる謙遜な人物だったのです。私達も見倣っていきたいものです。
(要約)

2026年9月13日日曜日

先週(9/13)の講壇

「あなたは何で満たしますか?」 

創世記13章1〜9節

 更に、甥のロトとの関係がぎくしゃくし、それぞれの道に分かれて住まなければならない状況になります。そこでアブラムは甥のロトに選択権を譲ります。
 ロトとの関係から霊的戦いを経験したアブラムは遜ってロトに選択権を譲りました。痛い経験を通して信仰成長したのです。物質だけではなく信仰の面においても豊かになっていったのです。私達も様々な事を経験しますが、どの様な場合にも主の恵みと導きに従って謙遜に歩みたいものです。
(要約)

2026年9月6日日曜日

先週(9/6)の講壇

「とにかく祝福を与えたい神」 

創世記12章1〜7節

 その代わりにアブラムを大いなる国民とし、祝福となることを約束されたのです。それでアブラムはどこに行けば良いか分からずに出発したのです。
 そして主の確かな導きの中でカナンの地に入ったのですが、決して居心地の良い場所、歓迎されるような地ではありませんでした。むしろそこに定着できない状況でしたが、主がアブラムに現れて顔と顔を合わせたのです。主はアブラムに大きな憐れみと祝福をお与えになられたのです。(要約)

先週(8/30)の講壇

「肉と霊の違いーあらゆるもののかすとなっても」 

Iコリント4章12〜16,19〜20節

 また、侮辱されたら侮辱し返し、迫害されたら怒りや憎しみを抱き、仕返しをしようとします。霊によって歩む人は、悪を悪で返しません。相手の言葉をそのまま返すのではなく、愛をもって応えます。まるでスポンジが水を吸い込むように、相手から受けた痛みを受け止め、神様に委ねます。そして、その代わりに祝福と優しさを流していくのです。
 しかし、それこそが聖霊によって与えられる力です。肉で生きるなら争いや傷が広がっていきます。霊によって歩むなら平和が生まれ、人が生かされ、自分自身も神様の平安に満たされます。(要約)

2026年8月23日日曜日

先週(8/23)の講壇

「裁きの中にもある主の憐れみ」 

創世記11章1〜9節

 それは神様の目には「人の傲慢さ」にしか見えなかったのです。それまで人類が一つの言語でしかなかった事が原因であるとし、その言葉がお互いに通じない様にされました。
 一つの裁きの様に思えますが、これも結局人類をこれ以上罪の深みにはまる事がないよう、また完全に滅びる事がない程度に、何よりも神様の約束に立ち返るようにして、言葉を混乱させました。言葉が通じあう人同士で国々が形成されていったのです。裁きの中にも憐れみがある事を知るのです。(要約)

2026年8月17日月曜日

先週(8/16)の講壇

「霊によって生きることと肉によっていきること」 

Iコリント4章7〜13節

 それは、肉に従って歩む生き方と、霊に従って歩む生き方の違いを示し、霊に従う歩みへと立ち返るよう勧めています。肉に従って歩む人は、誇りや豊かさ、強さ、人から尊敬されることを求めます。肉は目に見えるものを基準にするからです。霊に従う人は、自分を誇るのではなく、いつもへりくだり、神をもっと知りたい、神にもっと近づきたいと霊的な飢え渇きを持っています。 
 また、自分の弱さを認め、人から理解されなかったり、軽く見られたりしても、それを受け入れます。この世のものに縛られない神を第一とします。(要約)

2026年8月9日日曜日

先週(8/9)の講壇

「必然の神様の御業」 

創世記10章25〜32節

 ハムだけが父の醜態を見て兄弟達に告発したのです。それがきっかけでハムは主から呪われてしまったのです。そこで祝福を受けたセムは今日の本文でもその系図が紹介されています。
 セムの子孫であるエベルは「渡ってきた者」と言う意味の名でカナンに渡ってきたアブラハムを想起させ、ヘブルの語源ともなったのです。また、その子ペレグ、ヨクタンの事が記されています。これは後のバベルの塔の事件で、言語がバラバラになり各国民ごとに分かれて行った事を示します。そこに神様の必然の御業が表されているのです。(要約)

2026年8月2日日曜日

先週(8/2)の講壇

「目に見える契約」 

創世記9章8〜17節

 それを通して、再び洪水によって滅びるのではないかと言う不安と恐れの中にあった人々に安心を与えたのです。そして、それはイエス様の十字架による救いを表していたのです。
 神様は一度契約を立てられたなら、どんな事をもってでもそれを覆す事はできません。神様の威信にかけて誓われた事を成し遂げられるお方です。その誠実なお方が十字架による救いをも揺るがないものにしてくださり、大きな恵みを注いでくださったのです。(要約)