2025年2月12日水曜日

先週(2/9)の講壇

「主の完璧な摂理」 

ルツ記1章8〜18


 ベツレヘムに飢饉が訪れたエリメレクとナオミと二人の息子はモアブの地に逃れました。そこで息子達にそれぞれ嫁達を選びました。しかしやがて夫のエリメレクと二人の息子も亡くなってしまいました。
 そこでナオミは二人の嫁に「故郷に帰りそれぞれ夫を探しなさい。」と勧めます。弟嫁のオルパは涙ながらに姑から去っていきましたが兄嫁のルツは姑から離れようとはしませんでした。ナオミの説得にも聞く耳を持たないルツの堅い決意を見てナオミはそれ以上反論する事が出来なくなりました。
 ルツはやがて買い戻しの権利のあるボアズと結婚しました。その末裔にメシアなるイエスキリストが誕生したのです。全ての営みの中に主の完璧な摂理があったのです。私達もその様な主の摂理の中に生かされているのです。(要約)

2025年2月4日火曜日

先週(2/2)の講壇

「信仰による勝利者」 

士師記7章2〜9


 ミディアン人からの攻撃を恐れていたギデオンは御使いによって「主の勇士として戦うように」と言う召しを受けました。そしてそれは主が戦われる戦いであり勝利を与えると言う約束も受けていました。
 戦いのために32千人の兵士を用意しましたが主は「兵士が多すぎる。自分達が勝って主に誇る事がないように。」との事でした。そこで水辺に連れて行き、そこでの水の飲み方で選ぶ者を絞られたのです。
 手で水を掬って飲んだ3百人だけを選ばれたのです。それは常に戦いに対して隙を与えない兵士達だったのです。これは私達の信仰生活でも同じ事です。常にサタンの策略を見抜いている必要があるのです。そして信仰によって主の勝利を信じて前進して行きましょう!!(要約)

2025年1月27日月曜日

先週(1/26)の講壇

「霊は一つにし、肉は散らす」 

コリント人への手紙第一1章10〜18


 自然界の世界には秩序があり原理がありますが、霊的世界にも原理があります。この原理を知らないなら数多くのことが起こります。肉の原理によって歩むなら私たちの肉の働きの方が強くなります。御霊の原理によって生きるなら霊が強くなります。
 霊は一つにする傾向があり、肉は離れさす傾向があります。聖霊に満たされたいと願うなら一致を熱心に保つことです。神様との関係だけではなく、周りにいる人との関係がどうかによって大きな影響を及ぼします。私たちの内に神様の霊がおられるので一つとなろうとするとき充満に働きながら強くなります。
 もし関係が気まずい人がいるなら、まずそのことを解決することです。感情は信号にすぎません。自分が辛いという信号です。意志をもって赦すことを選択してください。愛の中で一つになる時その中に神様のいのちがとどまります。(要約)

2025年1月20日月曜日

先週(1/19)の講壇

「神様の目線」 

マルコの福音書10章13〜16


 イエスの元に子どもを連れた親御達が来ました。子どもに触れていただくためでした。しかし弟子達はそれを阻止し、子ども達を叱りつけました。
 それをご覧になられたイエスは逆に弟子達を叱りました。そして子ども達をそのままにする様に促されました。更にイエスは子ども達に手を置き祝福されました。弟子達には、「これらの子ども達のようでなければ神の国に入れない。」と語られました。
 これは子ども達が純粋で素直な心を持っている事を強調した上でこの様な心を持っていなければ神のご支配の中に入る事ができない事を示されたのです。私達の教会の子ども達も神様の祝福の中にいる大切な宝物なのです。(要約)

先週(1/12)の講壇

「真の礼拝者」 

ルカの福音書17章11〜19


 ツァラアトに冒された10人の人達はイエス様が通られると遠くから叫びながら癒しを求めました。しかしイエス様が語られたのは「癒されよ!」という言葉ではなく、「行って祭司に体を見せなさい。」というものでした。
癒しを期待した彼らにとっては期待はずれの言葉でしたが、イエス様の言葉に従って祭司のところに行く途中で癒やされたのです。
 しかし感謝してイエス様のところに戻ってきたのはサマリア人一人でした。彼の姿から神様の前に感謝と賛美を持って行動する真の礼拝者の姿を見るのです。私達も自分の環境や気分、感情如何に関わらず真の礼拝者として歩みたいものです。(要約)

2025年1月8日水曜日

先週(1/5)の講壇

「働く事が出来ない夜が来る前に」 

ヨハネの福音書9章1〜5


 イエス様は生まれつき目の不自由な人のところに来られた時にそばにいた弟子達は、「この人がこうなったのは誰が罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」と質問しました。
 するとイエス様は「罪」のためではなく「神の栄光が表されるためだ。」と語られました。働きの出来る昼の間に行う必要性がある事を強調されました。
 それは、やがて福音が裁きに変わってしまうからです。イエス様のご再臨の前に大切なあの人この人が救われる必要があるのです。そのためにイエス様をお伝えし執り成す必要があるのです。(要約)

2025年1月3日金曜日

先週(12/29)の講壇

「父の心」 

ルカの福音書15章20〜24


 放蕩息子の例え話は放蕩息子が主人公ではありません。放蕩息子の帰りをいつかいつかと待ち侘びつつ、いつも息子の帰りを待っている父として例えられている父なる神様です。
 そして、息子が戻って来た時には遠くから見つけて走り寄って首を抱き口付けしたのです。そして一番良い服を着させ、指輪をはめ、靴を履かせて、肥えた子牛をほふって祝宴を開いたのです。
 この様にして、待つ父、駆け寄る父、回復させる父として父なる神様の心が表されているのです。そしてその神様が失われた魂を探しておられるのです。この事実をまだ知らない方達にお伝えしましょう。(要約)

2024年12月25日水曜日

先週(12/22)の講壇

「アドベント第四週目(大きな喜びの良き知らせ)」 

ルカの福音書2章10〜11


 私達は日々新しい知らせと、溢れ出る情報の洪水の中で過ごしています。聞かされている知らせはどうでしょうか?大体この世の知らせは相対的です。ある人は喜びの知らせかもしれません。他の人にとっては悲しい知らせになるかもしれません。
 全ての人に及ぼす大きな喜びの知らせとは何でしょう!ペテロはイエス様を神様が送って下さった救い主であり、生きておられる神の御子だと告白します。どうしようもない全ての人類を救うために来られたイエス様。
 暗い闇の中で阻害され、悩み苦しみながら歩んでおられる隣人に、疲れ果てた方達に、この大きな喜びの良き知らせを伝え、今も生きておられ豊かに働いておられるイエス様の愛を共に分かち合うクリスマスです。聞くだけではなく自分のものとして主イエス様を心にお迎えましょう!(要約)

2024年12月16日月曜日

先週(12/15)の講壇

「アドベント第三週目(罪を赦す権威)」 

マルコの福音書2章1〜9


 イエス様は再びカペナウムに来られある家に入られました。するとそこに中風の人が四人の人に担がれて連れて来られました。
 人の壁でイエス様の目の前に連れて行く事が出来なかったので屋根を壊しそこから吊るしてイエス様の前に連れて行きました。イエス様は彼らの信仰を見て「あなたの罪は赦された!」と宣言されました。
 彼らは「あなたの中風は癒された!」と言う言葉を期待していましたが、想定外のお言葉でした。これは病の癒しよりも罪の赦し、魂の救いがもっと大切で重要である事を示されたのです。そして罪を赦す権威を持っておられる事を示されたのです。(要約)

2024年12月10日火曜日

先週(12/8)の講壇

「アドベント第二週目(マリアを通して)」 

ルカの福音書1章46〜55


 人間の理性ではどうしても理解出来ず、受け入れる事も出来ない様な事を受け入れたマリア。聖霊によって身籠ると言う前代未聞の出来事が彼女の身に起こったのです。
 律法の規定によると結婚前に身籠る事は石打ちの刑に値する罪でした。しかし彼女はその様な事が身に起こっても神を恨んだり自暴自棄になったりはしませんでした。
 謙らせて神様の御言葉に委ねる行動をしたのです。それは彼女が幼い頃から御言葉による教育を受けていたからなのです。学校教育も大切ですがそれ以上に御言葉による教育が大切なのです。マリアは神様の選びの中でその様な信仰の持ち主として育って来たのです。(要約)