2026年9月6日日曜日

先週(9/6)の講壇

「とにかく祝福を与えたい神」 

創世記12章1〜7

 その代わりにアブラムを大いなる国民とし、祝福となることを約束されたのです。それでアブラムはどこに行けば良いか分からずに出発したのです。
 そして主の確かな導きの中でカナンの地に入ったのですが、決して居心地の良い場所、歓迎されるような地ではありませんでした。むしろそこに定着できない状況でしたが、主がアブラムに現れて顔と顔を合わせたのです。主はアブラムに大きな憐れみと祝福をお与えになられたのです。(要約)

先週(8/30)の講壇

「肉と霊の違いーあらゆるもののかすとなっても」 

Iコリント4章12〜16,19〜20

 また、侮辱されたら侮辱し返し、迫害されたら怒りや憎しみを抱き、仕返しをしようとします。霊によって歩む人は、悪を悪で返しません。相手の言葉をそのまま返すのではなく、愛をもって応えます。まるでスポンジが水を吸い込むように、相手から受けた痛みを受け止め、神様に委ねます。そして、その代わりに祝福と優しさを流していくのです。
 しかし、それこそが聖霊によって与えられる力です。肉で生きるなら争いや傷が広がっていきます。霊によって歩むなら平和が生まれ、人が生かされ、自分自身も神様の平安に満たされます。(要約)

2026年8月23日日曜日

先週(8/23)の講壇

「裁きの中にもある主の憐れみ」 

創世記11章1〜9

 それは神様の目には「人の傲慢さ」にしか見えなかったのです。それまで人類が一つの言語でしかなかった事が原因であるとし、その言葉がお互いに通じない様にされました。
 一つの裁きの様に思えますが、これも結局人類をこれ以上罪の深みにはまる事がないよう、また完全に滅びる事がない程度に、何よりも神様の約束に立ち返るようにして、言葉を混乱させました。言葉が通じあう人同士で国々が形成されていったのです。裁きの中にも憐れみがある事を知るのです。(要約)

2026年8月17日月曜日

先週(8/16)の講壇

「霊によって生きることと肉によっていきること」 

Iコリント4章7〜13

 それは、肉に従って歩む生き方と、霊に従って歩む生き方の違いを示し、霊に従う歩みへと立ち返るよう勧めています。肉に従って歩む人は、誇りや豊かさ、強さ、人から尊敬されることを求めます。肉は目に見えるものを基準にするからです。霊に従う人は、自分を誇るのではなく、いつもへりくだり、神をもっと知りたい、神にもっと近づきたいと霊的な飢え渇きを持っています。 
 また、自分の弱さを認め、人から理解されなかったり、軽く見られたりしても、それを受け入れます。この世のものに縛られない神を第一とします。(要約)

2026年8月9日日曜日

先週(8/9)の講壇

「必然の神様の御業」 

創世記10章25〜32

 ハムだけが父の醜態を見て兄弟達に告発したのです。それがきっかけでハムは主から呪われてしまったのです。そこで祝福を受けたセムは今日の本文でもその系図が紹介されています。
 セムの子孫であるエベルは「渡ってきた者」と言う意味の名でカナンに渡ってきたアブラハムを想起させ、ヘブルの語源ともなったのです。また、その子ペレグ、ヨクタンの事が記されています。これは後のバベルの塔の事件で、言語がバラバラになり各国民ごとに分かれて行った事を示します。そこに神様の必然の御業が表されているのです。(要約)

2026年8月2日日曜日

先週(8/2)の講壇

「目に見える契約」 

創世記9章8〜17

 それを通して、再び洪水によって滅びるのではないかと言う不安と恐れの中にあった人々に安心を与えたのです。そして、それはイエス様の十字架による救いを表していたのです。
 神様は一度契約を立てられたなら、どんな事をもってでもそれを覆す事はできません。神様の威信にかけて誓われた事を成し遂げられるお方です。その誠実なお方が十字架による救いをも揺るがないものにしてくださり、大きな恵みを注いでくださったのです。(要約)

2026年7月26日日曜日

先週(7/26)の講壇

「肉は外側を見て裁く、霊は内におられる聖霊様の働きを見て励ます」 

テサロニケ人への手紙第一2章4節、コリント人への手紙第一4章3〜5

 それだけではなく、自分自身の判断さえも絶対視しません。自分もまた限界のある人間で完全ではないことを知っています。また肉は罪に定め、霊は励まし、人を生かします。肉の性質は、人を判断し、罪に定めようとします。
 しかし、霊は人を罪に定めません。反対に、人を励まし、認め、立て上げます。肉の特徴は、絶えず人を判断します。そして、その判断を基準にして「正しい」「間違っている」と人を裁きます。そして霊の働きには自由があり、人を生かします。私たちが神様の前に義と認められたのは、イエス様の十字架の血による恵みです。(要約)

2026年7月19日日曜日

先週(7/19)の講壇

「ノアの従順と信仰」 

創世記8章13〜22

 箱舟の設計図も、箱舟に入る様にされた動物も、うしろの扉を閉じられたのも主だったのです。そして水が引いた後、箱舟から外に出るのもノアの考えは一つもありませんでした。
 半年以上の長い箱舟での不便な生活を終え、ようやく主のGOサインが出、外に出れる様になったのです。そしてそこで新たに産まれ、増える事を許されたのです。これら全ての過程の中でノアはまず祭壇を築き主に捧げ物を捧げたのです。何を優先すべきかを私達に示してくれたのです!(要約)

2026年7月12日日曜日

先週(7/12)の講壇

「洪水による神様の憐れみ」 

創世記7章11〜21

 その中でもノアとノアの家族は神様に命じられて造った箱舟に入り込み、動物のつがいと共に命が守られたのです。それで人も動物も絶滅する危機からは逃れる事ができたのです。
 洪水は神の裁きですが正しいとされたノアとノアの家族は箱舟によって救われたのです。それは、新約のイエスキリストの十字架のひな型だったのです。私達も十字架の御業によって救いを受けたのです。(要約)

2026年7月6日月曜日

先週(7/5)の講壇

「主の心にかなったノア」 

創世記6章1〜8

 しかしこのまま人が悪に染まっていく事を望まれませんでした。そして、同時に人がこれ以上長生きする事を望まれずにそれまで何百歳までも生きていた人達の齢が120歳までに縮められたのです。
 その様な中でもノアとその家族は主の目にかない、神様の裁きの洪水の時にも守られるという恵みを受けたのです。主と共に歩む者の幸いを私達に模範として見せてくださったのです。(要約)