2024年12月10日火曜日

先週(12/8)の講壇

「アドベント第二週目(マリアを通して)」 

ルカの福音書1章46〜55


 人間の理性ではどうしても理解出来ず、受け入れる事も出来ない様な事を受け入れたマリア。聖霊によって身籠ると言う前代未聞の出来事が彼女の身に起こったのです。
 律法の規定によると結婚前に身籠る事は石打ちの刑に値する罪でした。しかし彼女はその様な事が身に起こっても神を恨んだり自暴自棄になったりはしませんでした。
 謙らせて神様の御言葉に委ねる行動をしたのです。それは彼女が幼い頃から御言葉による教育を受けていたからなのです。学校教育も大切ですがそれ以上に御言葉による教育が大切なのです。マリアは神様の選びの中でその様な信仰の持ち主として育って来たのです。(要約)

2024年12月4日水曜日

先週(12/1)の講壇

「アドベント第一週目(ザカリヤを通して)」 

ルカの福音書1章5〜13


 レビ人で神様の前に正しい歩みをしていたザカリヤ、エリサベツ夫婦は子がいなかったのですが、神様に子を授かる様に祈り続けていました。
 そんなある時、御使いがザカリヤに現れて「あなたの祈りを聞いた。子を授ける。その名をヨハネとしなさい。」と言うお告げがありました。しかし不妊の妻にお互いに老齢になっていて御使いの言葉を信じる事が出来ませんでした。
 その事でザカリヤは一時声が出せなくなります。しかしその子の名前をヨハネとすると表明した時に元の様に声を出せる様になったのです。そしてヨハネはイエス様の福音の働きのための道備えをする人として用いられたのです。(要約)

2024年11月27日水曜日

先週(11/24)の講壇

「写しと影」 

ヘブル人への手紙8章5


 聖書は見える世界と見えない世界があると言います。この世界は独立的に存在しているのではなく連結されています。見えるものは見えないものの影という、天にあるものの写しと影です。だから私達が見えない世界でどのような行動を取るかによって見える世界に影響を及ぼすのです。
 多くのクリスチャンは見えない世界を認識していないので、見えない世界を信じません。だから影だけを移そうとします。深く連結されていて見えない世界において、縛られるならこの地でも縛られ、見えない世界で解かれるなら、この地でも解かれる事になります。
 これを祈りと言います。祈る時に天では何かが解かれ、縛られ、移す事が出来ます。特に信仰で祈る事です。この信仰をずっと発揮していく時私達の内に霊的権威が強められます。この信仰は、私達は全然違う世界に導いてくれる鍵です。(要約)

2024年11月19日火曜日

先週(11/17)の講壇

「責めるのではなく赦す」 

ヨハネの福音書8章1〜11


 姦淫の現場で捕えられた女をイエス様の元に連れて来た律法学者、パリサイ人達はイエスを陥れようとしていたのでした。律法では姦淫の罪は石打ちの刑に処するからです。
 そしてイエス様は「罪のない者から石を投げなさい。」と語られました。すると年長者から一人一人去って行き女とイエス様だけが残りました。
 イエス様は女を責めるのではなく赦す事で彼女がもう姦淫の罪を犯さない様に教え諭したのです。罪を赦し救いを与えるお方の方法だったのです。(要約)

2024年11月12日火曜日

先週(11/10)の講壇

「主のご栄光に満ちた姿」 

ルカの福音書9章28〜36


 ペテロとヨハネとヤコブを伴って変貌山と呼ばれるヘルモン山に登られ、そこでイエス様は見事に身姿を変えられたのです。
 そして、モーセとエリヤとイエス様がエルサレムで遂げようとされる最期について語られていたのです。ペテロは思わず、イエス様とモーセ、エリヤに幕屋を三つ作ると語りました。
 そして、天からの声があり「これはわたしの選んだ子、彼の言うことを聞け。」と命じられたのです。栄光の主は神の子であられメシア、救い主なのです。この主の栄光を仰ぎ見つつ歩んで参りましょう!(要約)

先週(11/3)の講壇

「本当にあなたの主になっていますか?」 

マタイの福音書16章13〜20


 ペテロは主に対して「あなたは神の子キリスト」であると信仰告白しました。これは、肉的な思いや考えではなく父なる神様が悟らせて下さった事であると主は語られました。
 教会は正にこの様な信仰告白の上に建てられているのです。そして私達は信仰告白だけではなく、信仰生活の中でそれが生かされていく事が求められているのです。
 知識的に「知る」だけでは不十分なのです。聖書で語られている「知る」と言う言葉は体験的なものも含んだ言葉であるからです。お互いに「主」を主として崇め、その主を体験する事で更に信仰の高嶺へと導かれるお互いとなる様に主は願っておられます。(要約)

2024年10月28日月曜日

先週(10/27)の講壇

「従順の結果」 

ヨシュア記6章13〜21


 ヨシュアと民達はカナンに入ってからの初めての戦いとなるエリコを前にしていました。そして既に主によってエリコの町はヨシュアとイスラエルの手に渡したと約束して下さっていました。
 それゆえに彼らは主の勝利を信じて主の御言葉に従ったのです。しかしその方法は人間的に見るなら愚かな方法に見えたのです。城壁の周りを一日に一度、それを六日間回り最後の七日目は7周回ると言う方法でした。
 イエス様の十字架による救いの方法も愚かと思える方法を通して与えられるものです。主の御言葉に従う時に主の御業はなされるのです。信仰生活の中でもそれを適用して歩みましょう!!(要約)

2024年10月21日月曜日

先週(10/20)の講壇


「旧約時代におけるくじの役割」 

ヨシュア記7章10〜18


 ユダ部族に属するアカンはエリコの町の聖絶の物の一部を盗み隠したのです。これは明らかに神様の定められた律法に反する罪でした。これによって神様の怒りがイスラエルに向けられたのです。
 神様はヨシュアに対し、その罪を犯した人物を取り分けるためにくじをする様に命じられました。そして、見事にくじによってアカンが取り分けられたのです。
 旧約時代にはこの様にしてくじによって神様の御心を知る重要なツールだったのです。今を生かされている新約時代はくじも用いられる場合もありますが、今は神様の御心がぎっしり詰まっている聖書の御言葉があるので聖霊様は御言葉をもって示して下さるのです。(要約)

先週(10/13)の講壇

「見える世界と見えない世界」 

コリント人への手紙第二4章18


 聖書は二つの世界があると言っています。見える世界と見えない世界です。神様を知らない人達は見えるものが全てだと思うのです。クリスチャンの土台となる信仰は、見える世界が全部ではなく、見えない世界があるのです。

2024年10月7日月曜日

先週(10/6)の講壇

「従順と言う引き金」 

ヨシュア記3章14〜17


 神様の約束の地カナンを目の前に氾濫しそうなヨルダン川が道を遮りましたが、主はその様なヨルダン川の間に(せき)を作り塩の海へ流れる水を完全に堰き止められたのです。
 そしてイスラエルの民達は乾いた地を歩きヨルダン川を渡り切る事が出来たのです。勿論、神様のご計画の中にあった事ですがそこには、祭司達の「従順」があったのです。
 そして祭司達が従順な態度で進み出てヨルダン川に足を踏み入れる事が出来たのは神様に対する信仰と共に、モーセをはじめヨシュアの主に対する従順な歩みを見て来たからなのです。私達も主が喜ばれる主に対する従順な歩みをさせて頂きましょう。(要約)