2024年5月22日水曜日

先週(5/19)の講壇

聖霊による終末的なお働き」 

使徒の働き2章12〜21節

 五旬節は過ぎ越しの祭りを記念する日から50日目を記念し感謝する大切な記念日でした。新約時代に入りイエス様がご昇天されて後、預言通りに聖霊が降りました。
 この日を記念して五旬節、即ちペンテコステと呼ばれるようになったのです。そして、この日は教会が誕生した日でもあるのです。
 そして、当時の人達に聖霊が注がれて預言や異言を語ったのです。それは、聖霊降臨以降は聖霊の思うままに与えて下さる賜物があるからです。私達も聖霊が与えて下さる霊的な賜物を求めて、キリストのからだを建て上げるために用いていきましょう!!(要約)

2024年5月15日水曜日

先週(5/12)の講壇

失われた息子を探す父の愛」 

ルカの福音書15章25〜32節

 父から受ける遺産を予め受け取り湯水の様に使い果たして身も心もボロボロになって帰って来た次男を出迎えて盛大にパーティーを催しました。
 しかしそれを見た長男は憤慨しました。いつも父のそばで働いて来たのに自分にはヤギ一匹も与えてパーティーをしてくれた事がなかったからです。
 長男にとって次男だけが愛されてえこひいきされていると思っていましたがそうではないのです。父は神様の愛を現しているのですが分け隔てなく愛して下さるのです。(要約)

先週(5/5)の講壇

優先順位をしっかり!」 

ルカの福音書15章1〜7節

 イエス様はパリサイ、律法学者達にたいして、実のない信仰を批判しました。彼らはそもそも取税人や罪人に対する偏見を持っていました。
 イエス様はそんなパリサイ、律法学者の本心を見抜いて指摘していたのです。そして、羊飼いは羊のために命を捨てると語られたのです。
 私達は既にイエス様の十字架によって救いを受けた羊と同じです。救われていないヴィップは失われた一匹の羊です。先に救われた者として、失われた羊を羊飼いの元に連れ来る事が求められているのです。その働きを通して羊飼いなるイエス様に喜んで頂ける歩みをしていきましょう。(要約)

2024年4月23日火曜日

先週(4/21)の講壇

憐れむ者は憐れまれる」 

ルカの福音書10章30〜37節

 イエス様は「本当の隣人」について律法の専門家に例えで話されました。あるユダヤ人が強盗に襲われ半殺しにされてしまいました。そこに祭司が通りかかりましたが見て見ぬふりをして過ぎて行きました。同様にレビ人も同じでした。
 ところがその後にサマリア人が通り掛かりました。彼はその人を可哀想に思い介抱してあげました。そして宿屋で安静するようにし、宿屋の主人には必要なお金を肩代わりしたのです。
 そしてイエス様は律法の専門家にそれを実践する様に勧めたのです。その様にして憐れみをかける者は憐れみを受ける事になるのです。(要約)

2024年4月17日水曜日

先週(4/14)の講壇

赦されるために赦そう」 

マタイの福音書18章31〜35節

 イエス様は「赦す」事の大切さを例えで話されました。主君に借金のある家来とその家来に借金をしている人です。家来はとてつもない金額を免除されたにも関わらず自分にわずかな借金がある人を赦しませんでした。
 この様な人は神様もその人を赦さないとイエス様は強調されました。私達も決して払いきれない罪の代価をイエス様がその身を持って帳消しにして下さったのです。
 受けた恵みを常に覚えておくなら自分もまた自分に危害や傷を与えた人に赦しを与える事が出来るのです。聖霊様の助けと導きを頂いて実践していこうではありませんか。(要約)

先週(4/7)の講壇

種蒔きのたとえから」 

マタイの福音書13章18〜23節

 イエス様は福音の種である御言葉を通して人を救いに預かるために、四つの類型のタイプがある事を例え話しを用いて語られました。四つの類型を通して全ての人の心を網羅する事が出来るからです。
 「道端に蒔かれた種」、「岩地に蒔かれた種」、「茨の中に蒔かれた種」、「良い地に蒔かれた種」に分類されたのです。それぞれ御言葉に対して閉ざされている心から、御言葉に対して開かれた心までを表しています。
 イエス様がこの様に語られたのは、初めはどの様な頑なな心であっても聖霊様のお働きの中でいつかは良い地となり福音を聞いて100倍、60倍、30倍の実を結ぶ事を示されたのです。そしてそれらの御言葉を通して伝道の励みにする事が出来るのです。(要約)

2024年4月3日水曜日

先週(3/31)の講壇

復活の過去、現在、未来の意味」 

コリント人への手紙第一15章3〜8節

 復活されたイエス様は私達クリスチャン全ての信仰の土台です。聖書には復活がないなら全ては空しいと言っています。復活は過去に起きた実際的歴史的事実であり、象徴的な事を言っているのではありません。
 聖書は五百人以上の人がイエス様の復活を目撃したと書いてあります。まるで五百人以上目撃したから信じられなかったら行って目撃者に聞いてみなさいと言っているようです。
 また未来に対する出来事です。イエス様だけが復活したのではなく私達もいつか復活します。死は希望と喜びを一瞬に埋没させますが再び蘇る事が出来ると言う私達に与える明確な希望です。イエス様は今も生きておられます。パウロに現れた様に私達の歩む所どこにでも共におられます。神様の力、復活の力が日々皆様のものとなりますように。(要約)

先週(3/24)の講壇

愛による受難克服」 マタイの福音書27章27〜31節

 イエス様は十字架の御業を目前にして総督ピラトの命で兵士達からあらゆる冒涜と屈辱を受けられました。カイサルに風刺して紫色の衣を着せたり唾を吐きかけたりしました。
 イエス様はその様な中でもそれら兵士達が楽しむ行為に黙々と受けられたのです。それは正にイザヤ書で預言されていた事が成就する為だったのです。
 それは父なる神様の御心を全うすると言う前提下にあり、更に罪ある人々、私を救うための全きご従順のお姿だったのです。そこには「愛」と言う完璧な御業がなされていた証拠でもあったのです。それゆえに私達は完璧な救いを受ける事が出来る様になったのです。(要約)

2024年3月19日火曜日

先週(3/17)の講壇

不当な裁判を通して」 マタイの福音書26章57〜65節

 イエス様が父なる神様の御心である苦い杯を受けるべく不当な裁判が繰り広げられました。ちょうどしゅうとから大祭司としてのバトンを受けたカヤパが諮問する事になったのです。
 カヤパはイエス様に対する並々ならない敵対心と反抗心に満ちた人物でイエス様が十字架に進むための最適な人物だったのです。一見すると不当な裁判を起こしイエス様を十字架にかける大きな引き金になったカヤパはただの悪人としか見えません。しかしその悪が皮肉にも用いられたのです。
 ユダと言いカヤパと言い神様のご計画の中にはこの様な悪人も用いられるのです。私達の考えを遥かに超えたところに神様のご計画と摂理があるのです。その中で私達は神様の守りと助けを通して歩んでいく事が出来るのです。(要約)