ダビデが心を痛めなかった理由 第一列王記 1章6節
豊山 カヨ師
今日はダビデ自身と家族との関係、また育てられた環境の大切さを分かち合います。
ダビデは神の御心にかなう人でしたが、子供たちに対しては無関心な父で子供たちは悲惨でした。妻ミカルがダビデをさげすんだことで、ダビデはミカルを呪い、彼女は死ぬまで子どもがなかったと聖書には書かれていますが、良い夫婦関係ではなかったことを知ることができます。
ダビデ自身も父エッサイから愛情を受けずに育てられました。人はそのようになりたくないと思っていても、自分が見たとおりに生きるものです。その影響力は大きいものです。しあわせな他者との関係はその人を知って理解することで、その人を受け入れることができ、愛する関係となりしあわせな人生となります。あなたは人との関係において無関心でいることはありませんか?
私たちにもいろんなことがあります。ですが、立ち上がることができないほどの痛みがあったとしても、「希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)
ですから、この事実にしっかり立って、さらに注がれている神の愛を心ゆくばかり受けていきましょう。それによって、私たち自身、癒され、私たちが関係する人々に良いものを流すことができます。
結局は誰のせいでもなく、私たち自身における選択と責任にあります。(要約)