2017年6月18日日曜日

先週(6/11)の講壇




「どんなに人の罪が重くても」  

創世記6章1~8節



 綾 康輔 牧師
 
 ノアの時代に人の罪が深まる一方でした。それで、神様は人の寿命を120年に定められました。それは、ただ単純に120年位で良いだろうと言うものではなく、神様が警告を出されてから洪水が起こるまでの120年だったのです。その間にノアとその家族は大きな箱舟を作ったのです。当時は今の様な便利な工具があった訳でもありません。それで、120年も掛ったのです。
 神様は当時の人々の堕落した様子をご覧になられて、悔やまれたと記録されています。それは、私達人間が神様の引き裂かれる様な心の痛みを知る為に擬人化して記録されたのです。それ故に、人を造った事に対する神様のご計画の誤りであったとは決して言えないのです。神様が天地万物をお造りになられ、非常に良かったと語られたのは、間違いのない事だったのです。
 その中でも、神様はノアの箱舟を作らせ、義人を救おうとされたのです。それは、正に今の新約の時代のイエス様の十字架による救いを予表していたのです。それ故に、私達はイエスキリストを主と告白する者は、救いを受ける事が出来るのです。そして、その方法は心の戸をノックしている音に応答し、心の戸を開ける事です。それによって、イエス様は私達の心の中に入って来て下さるのです。神様の救いはその様にして憐れみと慈しみに満ちているのです。(要約)