「敵の為に祈れますか?」 マタイの福音書5章43~48節
綾 康輔 牧師
今日の本文もその中の代表例ではないかと思います。敵を愛し、迫害する者の為に祈ると言う事は、正に狂気の沙汰であります。しかし、神様は私達に命じられるのです。それは、私達の肉の力では出来なくても、聖霊様の助けと導きの中で可能であると言う事を暗示しているのです。
そして、私達にとってどんな敵であったとしても、その人は神様に愛されている対象である事を知る事が大切です。その様に目線を変えていく事で、それを実践する第一歩であると見ることが出来ます。そして、それを実践したいと言う切なる願いをもって聖霊様に助けと導きを頂く事が必要不可欠なのです。お互いにその事を実践していきましょう!(要約)