2011年3月20日日曜日

先週(3/13)の講壇

「主は我らの完璧な正義」       エレミヤ書23:5~6、Ⅱコリント5:21
ジュリウス・エクイパド牧師

 私達は肉の性質を持っているが故に,「義」とされる事はありません。それは誰もが認める所です。しかし、イエスキリスト御自身が完全に「義」そのもののお方であるが故に、イエスキリストを信じる者は「義」とみなされるのです。
 ただし、その「義」が全ての者に与えられるのではありません。イエスキリストを信じ受け入れる者のみが与えられるのです。イザヤ書53章11節においても、その事は確かに記録されています。
 ですから、神様の側では全ての者が「義」とされる事を望んでおられますが、イエスキリストを受け入れない者を「義」と認める訳にはいかないのです。
 その意味でも、私達は完全な者ではないにもかかわらず、イエスキリストを信じて「義」と認められると言う事がどれほど大きな特権であり、恵みであるるかを改めて確認する必要があるのです。全てはイエスキリストの故なのです。(要旨)