綾 康輔牧師
本日は、父の日礼拝です。母の日礼拝と比較して、いつも影の存在である感は否めません。しかし、その「父」と言う存在を考える時に、「父なる神の愛」を同時に思わされるものです。
放蕩息子の本文を通して、「父なる神の愛」を知る事が出来ます。黙っていれば兄と一緒に父の遺産を相続出来る状況にあった次男坊は、先取りして家を出て行きました。ここに次男坊ならではの「自由奔放」で「冒険家」の性質が表れている様な気がします。そして、彼はお金に物を言わせて多くの友達を作りました。しかし、その財産も湯水の様に使い果たし、それと同時に友達と思っていた人達が一人去り、二人去り・・・結局、無一文になり、友達も全て失ってしまいました。
そこで彼は豚の世話をして、生き延びるしかありませんでした。そんなある時、彼は「父の所」に帰る事を決意します。しかし、「息子」としてではなく、「一人の雇い人」としてです。それは天の父にも肉の父にも罪を犯したという罪悪感からでした。
そんな彼が父の家からまだ遠い所にいるにも関わらず、父は次男坊を見つけ走り寄って、抱き寄せ、口付けしたのです。そして、仔牛をほふって祭りを開きました。そこに「父なる神の愛」が表されているのです。
現在でも神様は失われた一人を探し求めて、神様に立ち返る事を待っておられるのです。(要旨)