「パウロの覚悟」 使徒の働き21章10~14節
綾 康輔 牧師
パウロはピリポ執事の家にいる時、アガボと言う預言者が訪ねて来て、パウロがこれから捕らわれの身になり異邦人の手に渡される事を聖霊によって預言しました。それを聞いた土地の人々は、パウロがそんな目にあって欲しくない一心で、「エルサレムに上らない」ように勧めました。しかし、それはあのペテロも経験した様に、神様のご計画を度外視した人間的な考えだったのです。
それ故に、パウロは彼らに対して「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」とパウロの覚悟を語りました。これは、そこに居合わせた人達には、とても大きなショックと共にチャレンジを与える言葉でした。しかし、パウロにとってそれは正に人生の中で、それを実践していた人物でした。ですから、彼はピリピ人への手紙1章20~21節に次の様に記録したのです。「それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」と。(要旨)