「キリストの愛」 ガラテヤ人への手紙2章20節
綾 康輔 牧師
私達の人間関係の中で、自分の持っているトゲが故に、お互いに傷つける事が多々あります。そして、その相手が例え親しい仲の人であっても、近付き過ぎる事で傷つけあう事があります。
私達の罪(聖書では道徳的な罪に留まらず神様から離れている状態を表す)故に、神様はイエスキリストに私達の一切の罪を負わせたのです。そして、それは正にヤマアラシの様なトゲがたくさん生えている私達を包んで下さったのです。
それ故に、イエスキリストはあの十字架上で釘付けになり、私達の身代わりになって死なれたのです。それは、神様が私達を愛しておられる証拠なのです。現に、私達には今も主の愛が注がれているのです。そして、パウロもその事を証ししています。
パウロは、自らもキリストと共に十字架に付けられたと語りました。それは、自分を愛するが故の行動であった事を、今日の本文の中で明らかにしています。(要旨)