2014年2月16日日曜日

先週(2/9)の講壇



「主が知恵を与えられるならば」          エステル記7310
 
  綾 康輔 牧師

 
 シュシャンの城でアハシュエロス王が君臨している時の事でした。アガグ人ハマンと言う男が、王の右腕として他の首長達の上に立場が置かれていました。そして、全ての者達はハマンにひれ伏す様にさせました。
 ところが、ユダヤ人であるモルデカイと言う人物は、決してハマンに対してひれ伏す事はありませんでした。神様以外にひれ伏す対象はいないと言う信仰を持っていたからでした。それで、自分に対して絶対にひれ伏さないモルデカイを見ては、ハマンの心は憎しみを持ち、それはやがて殺意へと変わっていったのです。 
 そんな中でハマンはモルデカイを殺すだけでは収まらず、ユダヤ人達を皆殺しにしたいと言う思いに膨れ上がります。それを知ったエステルは、ハマンと言う男によって同胞が皆殺しになってしまうのは、あってはならない事であると思い、同胞に断食を要請します。そして、神様から知恵を頂きハマンの策略を王に暴露する機会を作ります。それで、ハマンは自分がモルデカイを殺そうと用意していた木に架けられたのです。
 エステルは神様から知恵を頂き、事なきを得る事が出来たのです。私達も神様に知恵を頂かなければならない場面がたくさんあります。その時ごとに、主から知恵を頂き問題を克服していきましょう。神様は必ず求める者に知恵を与えて下さると御言葉で約束して下さっているのです。(要旨)