2014年2月23日日曜日

先週(2/16)の講壇



「先駆者バプテスマのヨハネ」       マルコの福音書118

  綾 康輔 牧師

マルコは、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」と言う言葉からその記録を始めています。そして、イエスキリストの福音の始めを語るには、バプテスマのヨハネを外す事は出来ないと言う意味からも、バプテスマのヨハネについての言及がされています。
 それは、今から約2,700年も前に遡る時期に、預言者イザヤを通して語られていた通りの事が、時至ってなされたのです。そして、それはイザヤによって語られていた様に、罪の赦しのためのバプテスマを宣べ伝える働きをするものでした。
 そして、実際に彼は荒野に住みながら、らくだの毛で織った着物を着、イナゴと野蜜を食べると言う質素な生活をしていました。それは、後に来られるイエスキリストを迎える為の一つの現れであったと言えるのです。それは、「私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。」と言う彼の告白に現されているのです。
 つまり、イエスキリストの福音の働きの為の、道備えをする為に召されていた事を、悟っていたからです。この様な謙虚な姿からも、バプテスマのヨハネは、神様のご計画に沿った歩みをしていた人物である事が分かるのです。そして、彼の最後はとてもやるせない最期を迎えましたが、彼は恐らく後悔するのではなく、自分の与えられた使命を全うして、この世を去って行ったと推察する事が出来るのです。私達も、それぞれに与えられた使命に生きる者達となりたいものです。(要旨)