2014年4月6日日曜日

先週(3/30)の講壇

主の祈り1」マタイの福音書6913

  豊山 カヨ 牧師

弟子達はいつもイエス様と共にいて祈っておられる姿を見ていました。イエス様は一人で祈っておられたし、人がいてもいなくても、またどこででも祈りの場所となり、祈りの自由さ、神様に親しく祈っておられました。弟子達も祈ってはいたがいつも形式的な祈りでした。だからいくら祈っても本当に神様に出会う親しく神に触れられると言った祈りを経験できず自己満足に陥っていました。だから祈りについて教えて下さいとイエス様に願ったのです。
イエス様は最初に「天にいますわれらの父よ」と祈るように教えられます。これは「アバ父よ」「私の父」「お父ちゃん」と言う呼びかけです。尊い神の子イエス様がされているのと同じ様に、父なる神様に呼びかけるようにと言われます。神様からかけ離れている存在の私達を父と子の交わりに入れて下さったのです。その関係から祈りは始まるのです。
 次に「御名が崇められますように」の意味は「聖める」「聖別する」と言う事です。神様を神様として人間のあらゆる思い、考え、経験などを一切交えないで聖別されたお方として仰いでいく事こそ真に神を崇める事です。私達が御名を崇め栄光を帰す唯一の方法は、私達が神様と親しい交わりを通して受けた恵みを人々に伝える事であり、自分自身を神様に明け渡し、主の教えに従って歩む、正に魂の救いと弟子作りです。これこそ神様の喜ばれる事であり、御名が崇められる事であって、私達の教会が目指しているところなのです。(要旨)