「『え!毎週ですか』が七年」マタイの福音書22章37~39節
千葉 秀悦 兄
私の教会で初めに「家の教会」を始めると言う事を趙先生から聞いた時、私は猛反対しました。「魂の救い」、「弟子作り」を私達信徒にさせると言うからです。月曜日から金曜日まで社会に出て、朝から晩まで汗水流して仕事をしているのに、また教会でも毎週日曜日の礼拝を守り、十一献金を守って、役員までしているのに、これ以上何を要求するのか、全く理解出来ませんでした。「そしたら、牧師は何をするのか?」と言う問いだけが残り、趙先生にその不満を打ち明けました。
しかし、その後神様は私の心に「反対するのはもう止めよう」と言う思いになり、「とりあえず、そこまで言うならやってみよう。」と言う思いになり、「駄目だったらその時に考えれば良いか。」と思い、牧者としての働きを引き受けました。その後は、ヴィップを招くのに大きな苦労と悩みを抱えましたが、神様はそんな私に牧員を任せて下さり、その中でヴィップを連れ来る事が出来る様になり、魂が救われていく神様の御業を目の当たりにしました。その様にして、招待教会では「家の教会」を通して、一人一人がキリストの弟子として、ヴィップを追い求めて救いの道に導く伝道の働きに多くの実を結んでいきました。確かに今も難しさと困難、犠牲が伴う働きと言う点において変わりはありません。しかし、自分達が種をまいた事で、魂が救われるのを見ると、それまでの苦労、犠牲が恵みに変わるのを体験しています。(要旨)