「人に従うか?神に従うか?」 使徒の働き5章28~33節
綾 康輔 牧師
リベルテンの会堂の人達は、執事ステパノと議論をしていましたが、勝ち目がないと思うと、偽りの証人を立ててステパノを陥れようとしました。その時に大祭司がステパノに尋問しました。それに対する弁明、または説教が使徒の働き7章1節から53節まで記録されています。
その中で、最後の51~53節は彼の説教を凝縮したと言っても過言ではありません。そして、今日はその部分を見ていきます。ステパノは大祭司、即ち自分と同じ同胞であるユダヤ人達に対して、彼らの間違いを指摘したのです。それは、ユダヤ人達にとって一番の致命傷であるとも言える言葉だったのです。結局は、ユダヤ人達はアブラハムから始まって、ダビデに続く血統を重んじていたのです。そして、神様の選びの民達であると言う印の割礼を一つの誇りとしていたのです。しかし、ステパノはそんなものは何一つ重要ではなく、心の割礼、即ち「キリストによって新しく生まれる=新生」がもっと重要である事を語ったのです。
ステパノは確かに新約聖書から言うと、正論を語ったのですが彼らにとっては、「神をも冒涜する暴言」としか受け取れなかったのです。彼らはステパノに対する憎しみが殺意に変わり、結局それが大きな原動力になり、ステパノは殉教していったのです。私たちも、ステパノの様に命懸けで信仰を守っているでしょうか。(要旨)