2014年8月31日日曜日

先週(8/24)の講壇


「人の罪とそれを赦される主の憐れみ」    創世記32123
 
  綾 康輔 牧師
 
 アダムとエバは罪を犯して以来、神様から身を隠し自分達の裸が恥と思え、いちじくの葉で裸を隠していました。そこで、主は皮の衣を作って彼らに着させられました。これは、いちじくの葉に比べて豪華なものであると言うレベルではなく、彼らの罪に対して「動物の血」が流されると言う事が暗示されているのです。
これは、正に新約にイエス様がいけにえとして、十字架上で血を流された「贖い」の御業を象徴しているのです。故にこれは、正にイエス様の「十字架のひな形」であると言えるのです。この時から、神様は私達の救いの為の道備えをしていて下さったのです。
 そして、彼らは主によってエデンの園から追放されてしまったのです。これは、何か神様の怒りが彼らに下されたのだと言う側面しか見えないものですが、角度を変えて見るなら、罪によって呪われた土地にアダムとエバがいる事は良くない。その悪い影響を受けては良くないと考えられ、園から追い出されたと見る事が出来るのではないでしょうか。
 この事から現されている様に、神様は私達が呪いの中にいるのではなく、神様の恵みの中に留まる事を願っておられる方である事を知るのです。お互いに千代に至る恵みの主を体験しましょう。(要旨)