2014年9月7日日曜日

先週(8/31)の講壇


「たとえ話(1) 種蒔きのたとえ」        マタイの福音書1319 

 豊山 カヨ 牧師

 
 イエス様は私たちの生活の中にある身近な事がらを用いて、たとえで教えられました。私たちが慣れ親しんいる言葉を使って、深い真理や神の御国に関する事を解き明かし、人々に近づかれました。
 マタイ13章は神の国の章といい、8つの神の国のたとえ話が書かれています。本文の種まきのたとえは福音の言葉を聞いても有益にならないようにする大きいな障害物が何であり、個々人の愚かさによって御言葉の目的を成し遂げる事が出来ない場合がどんなに多いかを4つのたとえをもって語っています。
 土地と言うのは私達の心のことです。道端、岩地、いばらはこの世の事だけで満足したり、御言葉によって変えられたり、取り扱いを受けようとせず、神ご自身よりも何かをもらう為に信じている状態を言います。
 良い地とは御言葉を聞いて悟る人の心であり、自分の力や業績に頼らず熱心さによってではなくただ恵みによって十字架で全てを成し遂げられた主イエス様を信頼する人です。
恵みの十字架を絶えず見上げ主との愛の関係に行き、御言葉に聞き従う事が良い地であります。その実は自分を明け渡しイエス様の十字架の愛に生きる証しであり、聖霊の実すなわち品性の実、伝道の実などです。
 十字架で現わされた主イエスの恵みにより良い地とされ、私達一人一人がいつも正しい良い心で御言葉を聞き、しっかりと守り、よく耐えて豊かな実を結ぶお互いとされますよう祝福致します。(要旨)