「たとえ話(2)罪人を愛される神様」 マルコの福音書15章11~32節
豊山 カヨ 牧師
今日の本文はとても有名な放蕩息子の話です。ルカの福音書15章の中に3つのたとえ話がありますが、いなくなった一匹の羊と1枚の銀貨どちらも自分では持ち主の所に帰る事の出来ない「失われたもの」の事を言っています。今日のたとえは父が自分の意志で悔い改めて帰る者をずっと待ち続けている話です。
ある人に息子が二人いました。父に財産の分け前を要求する弟息子に父は身代を分けてやります。弟は何もかもまとめて国に旅立ち、放蕩し財産を使い果たして食べるにも困り、本心に立ち帰り、幸せになれる場所は父のもとである事を知って家に帰ります。このたとえを話された背景には、罪人を受け入れるイエスを問題視するパリサイ人や律法学者に対して語られたのですがこれが兄息子の姿です。無事に帰った弟息子の為祝宴を開いた事で怒って家に入ろうとしない兄息子に父は慰めなだめます。お父さんは兄息子も弟息子も心から愛していました。弟息子の様に好き勝手に生きて来た人でも兄息子のように自分は正しいつもりで心が神様から離れてしまっている人でも罪を悔い改め神様の元に立ち帰るなら喜んで受け入れて下さいます。弟息子の様に放蕩したり大きな罪を犯したりしていなくても心が天のお父様から離れてはいないでしょうか!
人を批判したり裁いたりして自分を正しいとし、また人と比べてなぜ自分はこんな目に会わなければならないのかと十字架の恵みから離れてはいませんか!どちらも赦して受け入れて下さる天のお父様の御前に悔い改め、父なる神様との正しい関係に戻りましょう。そして共に神に喜ばれる者とされましょう。(要旨)