「たとえ話(3)不正な管理人―ただ神の恵み」 ルカの福音書16章1~13節
豊山 カヨ 牧師
本文は不正な管理人のたとえです。解釈の難しい箇所でありますが主イエス様の十字架に現わされた恵みという観点からお話ししたいと思います。
管理人の不正なやり方は主人の財産を乱費している事で訴えられ仕事を取り上げられると、何をして良いか分からなかった管理人が悩みながら思いついた事は仕事を止めさせられた後の準備をする事でした。
それがまた自分勝手な行動で、あたかも自分の財産の様に債務者達を集めて返済金をまけてあげる事で、後にその人の家に自分を迎えてくれるだろうと思ったのです。主人はそのやり方をほめます。彼の抜け目なくやった事を知恵だと言うのです。聖書でイエス様は神の小羊、賛美されるべき、ただ一人のお方であり、知恵であると書かれています。罪なきお方イエス様が律法によって罪人とされ訴えられましたが弁明もせず、神様の計画に従いご自身が不義の者となられました。私達の罪の身代わりとなられた事を通して私達を友として下さいました。
クリスチャンはイエス様の十字架の恵みと憐れみに自分を委ね信じて歩む者です。自分の力では何一つする事が出来ない弱い者です。不正な管理人がしていた行動は自分の力ではどうする事も出来ない、主人の憐れみにすがらなければ自分の力で生きるしかない者であると主人を信じていました。この世から救われ光の子とされた私達もまたこの世の不正の富を用いてさえも友を作る、即ち与えられた全てを用いて人々を主に導く事により、永遠の住まいの為の備えをしていくのです。(要旨)