「エステルの知恵と勇気」 エステル記5章1~8節
豊山 カヨ 牧師
エステル記には「神」と言う言葉が一度も言及されていません。「背後におられる神」として私達が神の存在を認識できない時も、神は御自分の民を救って下さるお方であり、私達の目には見えなくても、いつでもどこでも私達の為に働いて下さる方なのです。死ぬ事をも覚悟し、民族の救いのため前進するエステルは知恵ある人であり、祈る人でした。祈る事によって神様も順調な環境を開かれ、全ての状況をエステルが有利な法に物事が運ばれました。そしてそれだけではなく問題解決のための知恵と勇気をもって慌てず興奮しないで落ち着いて行動が出来たのです。
私達が神様の御名を呼び、御言葉を持って進む時、私達の内に神様の知恵が与えられます。神様が願う事が何であるかを知り、神様の知恵を知る事が出来るのです。祈りの中で私達は慌てず、自分の感情を収める事が出来、自分の欲求ではなく、神様のヴィジョンに向かう様になる訳です。今の時代も同じです。クリスチャンの家庭も教会も、特に子ども達が人間関係や、様々な部分において攻撃を受けています。
ヤコブ書1章5節 には「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」とあります。私達一人一人を通して幸せな、より良い家庭や、教会、国に貢献できるものとして用いられますように、惜しげも無く知恵を与えて下さる主に、祈りによってその門を開かせて頂く私達となります様に。(要旨)