「裁きの中にも憐れみと慈しみ」 創世記19章23~29節
綾 康輔 牧師
ソドムとゴモラの人々が罪に罪を重ねて主の怒りが頂点に達した時、天から硫黄と火が降り主の裁きがなされました。その時に、御使いはロトの所に現れて、家族をソドムとゴモラから避難する様に語られたのです。それは、ソドムとゴモラの人々と一緒に滅びる事のないためでした。
しかし、ロトの妻はソドムとゴモラが象徴する「この世と富、快楽」に対して未練があったので、御使いの命令に反して後ろを振り返ってしまい、塩の柱になってしまったのです。主の恐ろしい裁きの中で、ソドムとゴモラの人々、ロトの妻が標的となってしまったのです。それは、主のご命令に逆らう形となってしまったからです。
それに対して、主を愛し主に従おうとするアブラハムとロトは主が覚えて下さり、裁きから逃れる事が出来たのです。それは、正に罪を徹底的に嫌われ、裁きを下されるお方ではあるが、主を愛し、主に従うものに対しては憐れみと慈しみを惜しげもなく注いで下さるお方である事を知るのです。私達も、主の守りの中で永遠に過ごす事が出来るのです。
(要約)