2017年12月3日日曜日

先週 (11/26)の講壇

 

一粒の麦」実を結ぶためには          ヨハネの福音書1224

 
豊山 カヨ 牧師

 なぜ神様は聖書の色々なところで「花を咲かすように」とは言わずに「実を結ぶように」と言っておられるのでしょうか?イエス・キリストに似た品性を言い表していますがその実とは人格であります。一粒の麦が実を結ぶためにビジョンを描くことです。
 神様の御国の原理は、からし種のようなものです。種をまきながら多くの実がなっているのを先に見ることです。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。また、一つの種が必ず地に落ちることは、上から下に降りることであり、謙遜の原理とも言えます。時には神様は私たちに試練を与え、低くされ、苦しみの道を歩ませる時があります。その理由は私たちにとって最高の良いものを与えて下さるためであります。悔しい思いよりも、たといどのような状況におかれたとしても神様の摂理がある事を覚えましょう。木の実は結んだ後自分では食べません。実の中には種が入っているのでその種が地に落ちてまた違う木を作ります。
 実の最後の目的は再生産することです。実を豊かに結び、口数少なく、他の人を配慮する心、謙遜の限りを尽くして自分を低くし、どのような状況に置かれたとしても、主の十字架の陰に自分を隠し、すべてを主の御手に委ねるものとして人に仕えつつ、さらに多くの実を結んでいくことが出来ますように。(要約)