「脱出の道を備えられる主」 使徒の働き14章1~7節
綾 康輔 牧師
パウロとバルナバは、パポスを経てパンフリヤのベルガ、更にピシデヤのアンテオケに着き、更に東に移動しイコニオムにまで来ました。そして、彼らはユダヤ人の会堂に入り、福音を宣べ伝え続けました。その結果、多くのユダヤ人もギリシヤ人も信仰に入りました。
しかし、その様な御業が起こされた反面、福音を信じようとしないユダヤ人達が異邦人達を唆して、兄弟達に悪意を抱かせる様に仕向けたのです。これは、ユダヤ人としてはごく普通の行動であると言えます。イエスキリストを通して救いを得ると言うのは、彼らにとっては論外の救いの方法だったからです。また同時に、福音に逆らおうとするサタンの妨害がある事も事実でした。そんな中で彼らにとっては、宣教の妨げでしかありませんでした。更にそれは迫害へと繋がり、パウロとバルナバは殺されるところでした。しかし、主の守りの中で身を避ける事が出来たのです。
正に、脱出の道を備えて下さった主の御業を体験したのです。この様に主の側に着く者を守られる主の御手があるのです。私達も信仰生活の中で味わいたいものです。必ず主は私達に脱出の道を備えて下さるのです。(要旨)