「看守を通して表された救いの奥義」 使徒の働き16章30~33節
綾 康輔 牧師
ピリピの獄中で捕らわれ人となったパウロとシラスでしたが、彼らは福音を証しする使命が与えられた者としては、致命傷の状況の中にいました。それは、嘆かわしい状況でした。
しかし、彼らはその状況の中で神様に不平、不満を吐露するどころか、夜中にも神様に賛美と祈りを捧げていました。そこで神様は大地震を起こさせ、獄の扉と言う扉はすべて開き、彼らを縛っていたかせも、鎖も全て解けてしまったのです。
それを見た看守は、囚人達が全て逃げたものと思い、責任を感じ自害しようとしました。しかし、それを見たパウロはそれを止めさせました。恩恵を受けた看守はパウロとシラスに、自らを遜らせ救いを受ける方法を尋ねました。
それによって、パウロはイエスキリストの福音を彼だけではなく、彼の家族にも語る事が出来たのです。捕らわれ身の中にありながらも、看守とその家族に福音を語る事が出来たのです。そして、看守とその家族全員がバプテスマに恵みに与ったのです。
これは、正に恵みを受けた者の姿です。牧場の中でもヴィップに仕える時に、目に見えない神様を見出す事が出来る様になるのです。そして、心を開きイエス様を信じ、心にお迎えする事が出来る様になるのです。私達も各牧場の中で体験したいものです。お互いの為に祈りましょう。(要旨)