2013年9月8日日曜日

先週(9/1)の講壇


対照的な二つのグループ」            使徒の働き1719

  綾 康輔 牧師

パウロとシラスは、ピリピでの迫害にあった後、そこから約160㎞離れたマケドニアの首都、テサロニケまで来ました。そして、やはり彼らはいつもの様に、イエスキリストを宣べ伝え、御言葉の宣言と論証をし続けて行きました。
 それによって、ある者達は福音を信じ受け入れ、彼らに付き従う者達が起こされて行きました。これらの人達は福音を聞く事が出来る、柔らかい心を持っていた人達でした。この様な心がある人は、救いを受け入れる事を容易にする大きな要素となっていくのです。
 しかし、それとは正反対にユダヤ人達は、パウロとシラスが説いている福音を受け入れている人々を見て、妬みにかられました。それは、ユダヤ人達にとっては、受け入れ難いものに心惹かれていく者達に対する憤りに近いものがあったのです。そんな人々を見ていると、その原因を作ったパウロとシラスが妬ましく見えたのです。これらのユダヤ人達は、「自らを義とする」と言う習慣がある故に、福音に対しては心が硬いのです。これらの人々は御言葉を入り込ませないようにする大きな壁なのです。
 私達の牧場の中でも、これからどんな人達が来るか分かりません。しかし、どの様なヴィップであっても、私達がキリストの愛をもって仕える時に、彼らの心は解け、御言葉を受け入れていく柔らかい心に変えられるのです。(要旨)