2014年5月4日日曜日

先週(4/27)の講壇



「主の祈り2」             マタイの福音書6913

  豊山 カヨ 牧師

「御名が崇められるように」とありますが、神様の御名には「聖なるお方」、「聖別されるお方」と言う意味があります。罪人を救い、聖められるその素晴らしい御業の故に聖なる主の御名が崇められ、ほめたたえられるのです。
 しかしエゼキエル書で聖なる御名が汚されたと言っています。どの様に御名が汚され、どの様に回復すると言っておられるのか、エゼキエル36:2023を見ると、イスラエルの民が偶像を拝み御声に聞き従わないことで彼らを教えるためバビロンを用いてイスラエルの民は奴隷となりました。その事で諸国の民の間で神様はあざけられ御名が汚されたと言っておられます。神様はご自分の御名のために人間側にはその力がないので自らが必ずご自分の民を救いに導き回復すると約束されました。
 エゼキエル36:2428「御国が来ますように」「御心が天で行われるように地でも行われますように」国と言うのは神の国を現わすもので、神の国は既に来ているし、あなたがたの只中にあると言っています。
 神様が約束された様に聖霊様を送って下さり、救いを受けた私達が神の国であり私達の内に聖霊様を通して神の国を実現されます。故に私達は自分を捨て、聖霊様により頼む歩みをしなければなりません。御国が来ます様に、神の支配が成し遂げられます様に、主の祈りを祈りつつ父なる神様に求めていくものでありたいと思います。(要旨)