「子どものように神の国を受け入れる」 マルコの福音書10章13~16節
綾 康輔 牧師
人々はイエス様の御もとに子ども達を連れて来て、祝福を求めて来たにも関わらず、イエス様の弟子達はそれを見て叱りながら子ども達を追い払おうとしました。しかし、イエス様は逆にその様な弟子達をご覧になられて、憤りながら叱られました。
イエス様は子ども達の様にならなければ神の国に入る事が出来ないと強調されました。それは、心の清い者だけが神を見る事が出来るからなのです。大人になるに連れて、子どもの様な純粋さや清さが失われていくものです。それ故にイエス様は、子どもの様に清い心を持たなければ神の国には相応しくない事を語られたのです。でも、その様な純粋さを失った大人であっても清い心を持つ事が出来るのです。ヨハネの手紙第一1章7節に、次の様な御言葉が記録されています。“しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。”と。
イエスキリストの十字架の血潮によって、私たちは子どもの様な清い心を持つ事が出来るのです。そして、神の国を受け入れる事が出来、神の国に入る者となる事が出来るのです。(要旨)