2014年8月17日日曜日

先週(8/10)の講壇


「執り成しの祈り」              イザヤ書626

  豊山 カヨ 牧師

 ウエブスターの辞書によると執り成しの意味は「間を通る、平和を見出す、仲介する、二者や二つのグループを合意させるための役割を果たす。とりなす。」の意味があります。
 神がアダムを造った時の最初の計画はアダムはこの世で神の代理を果たすようにされました。神は人間をこの世の執り成し手、代理人、仲介する者と造られましたが皮肉な事にアダムが失敗したのでアダムが起こした問題を解決する為に最終的なとりなし手としてイエス様が来られ神とこの世の間に入って神の代理を務めました。
 御父の前で私達を弁護して下さいます。私達を父と和解させる事と、サタンと人間の間に入りサタンの支配権を破る務めです。イエス様は十字架の死を通して全ての事に勝利されました。イエス様は天の御父なる神様から遣わされてこの働きをされました。またイエス様も私達を遣わし、イエス様の代理として執り成しの祈りに導いて下さいました。私達の力で祈るのではなくイエス様の権威によってです。私達は神の国の大使です。
 イザヤは神から与えられた預言の約束、それは神の民の幸いと教会の有益の為に、その事を見る事はありませんでしたが信じて祈る事を決心し、なお世代を超えて祈り続ける事を願いつつ祈りました。教会の為に執りなす祈りは教会成長のエネルギーとなり、想像する事の出来ない強力な力となります。
 私達が今ここにいるのはどこかで誰かが心から祈りを捧げてくれた結果だと思います。この素晴らしい働きを私達に委ねて下さった神様の大いなる恵みに答えて祈っていきましよう!黙り込んではならないとお声をかけておられます。(要旨)