2016年1月17日日曜日

先週(1/10)の講壇


「イエス様の究極のへりくだり」     マタイの福音書31317

 綾 康輔 牧師

 イエス様の歩みは一言で言えば、「謙遜の限りを尽くされたお方」でした。それは、そもそも神の一人子であり神ご自身であるお方が、人として来られた事です。また、「悔い改めのバプテスマ」も受ける事は全く必要のないお方でしたが、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けられたのです。また、三位一体の神ご自身でありながら、敢えて御霊を受けられると言う事も自らされたのです。
 それらは、私達に良きお手本として見せて下さった事なのです。そして、教会の使命である「魂の救いと弟子作り」の為に御霊を受ける必要があったのです。それを先駆けてイエス様もその通りされたのです。
 イエス様のご降誕から始まり、最後はあのカルバリの丘での十字架の御業でした。これも、全く受ける必要のないお方が私達の救いと、永遠の命を与えるために成し遂げられたのです。至れり尽くせりの神様の御業に、イエス様ご自身が身を粉にして見本を見せて下さったのは、そこにイエス様の究極のへりくだりがあるからだったのです。(要旨)