2016年8月14日日曜日

先週(8/7)の講壇


戒めは縛りか?愛か?    出エジプト記20311

 綾 康輔 牧師

 神様は十戒を通して人を束縛しようとか、不自由にしようと言う意図は全く無かったのです。それは、神様を信じる者が最善の道を歩む事が出来る様に制定された「愛の配慮」だったのです。それは、十戒を二つに分けた前半部分(第一戒~第四戒)は、神様と人との関係の中にあって人が神様に守る様に制定された戒めです。
 後半部分(第五戒~第十戒)は、人間同士の中で秩序を保って歩む事が出来る様に制定されたものです。もし、神様が人を愛するよりも束縛し、不自由を与える目的であれば、後半の戒めはなかったはずです。しかし、神様は人間同士の中でもより良くお互いが歩むために、そこまで配慮して下さったのです。
 この事を考えると、神様は決して人を束縛しようとか、不自由な生活を強いる様にされたのではない事を知るのです。そして、それはやはり神様を愛する者たちに対する、神様の愛の現れであると言えるのです。特に、神様が天地創造された時に、六日掛けて造られて七日目に休まれたのは、私たち人間も六日間仕事をして七日目に安息を持ち、その中で神様を礼拝する事を望まれているからなのです。
 それは、ある人にとっては休みの日曜日位は家でゆっくり休みたいと思うかもしれません。しかし、その中でも一つ所に集まり礼拝を捧げる事で霊的には大きな祝福に預かるのです。その事を通して更に神様の愛を体験する一週間になる事をお勧め致します。(要旨)