2016年10月2日日曜日

先週(9/25)の講壇


主ご自身こそ私たちの受ける分」                 ヨシュア記2117

 豊山 カヨ 牧師

 レビ人には相続地がなく、割り当て地の代わりに神の家に仕え、神ご自身を相続として受けるようにされました。彼らを通して神を信じる私達も土地を所有するものではなく、信仰によって神ご自身を相続したものです。
 本文ではそのレビ人達に神様の命令によって、町々とその放牧地と逃れの町が与えられます。放牧地は緑の牧場を言います。そして、そこから収穫したもので家族や周りの人々が食べる事が出来ます。逃れの町は誤って殺人を犯した者を隠せる場所でした。これは神様の憐みと愛を施す今日の教会を指します。
 イエス様はまことの放牧地であり逃れの町です。罪を犯す私達は罪が赦され永遠の命を頂きました。イエス様は私達を放牧地、逃れの町として周りの人達に良いものを流していくものとして生きるように願っておられます。そのために聖霊の油注ぎを頂き、日々力ある御言葉に聞き従いつつ歩める恵みが与えられています。そしてどんなものとも代え難い主ご自身を私達の受ける分として神様から与えられています。(要旨)