2018年9月9日日曜日

先週(9/2)の講壇

 

「過ぎ越しの祭りから」      出エジプト記1217


 綾 康輔 牧師
 
 過ぎ越しの祭りと出エジプトは別個のものではありません。出エジプトは過ぎ越しの祭りを通して完成され、過ぎ越しの祭りは出エジプトと共に始まったと言えるからです。出エジプトは単なる奴隷としての民達が、エジプトの束縛から解放された政治的な出来事ではなく、救贖史(救いあがなう主の歴史)的な出来事であったのです。
 羊の血で門の柱と鴨居に塗られた家だけが、主の怒りから免れる事が出来たのです。それはイエス様の十字架の血潮を信じる者が救いを得るのと同じなのです。そして、それはすべてのいけにえの終結を現し、完成を意味しているのです。
 しかし今の私達にとっては、ピンと来ない感も否めません。救いと言うものが目に見えないからです。だからと言って神様に愛されていない訳ではありません。聖霊様を通して確かに注がれているのです。そこに義と平安と喜び、希望があるのです。(要約)