2025年3月10日月曜日

先週(3/9)の講壇

「対照的な二人」 

サムエル記第一16章14〜23


 主がお命じになられた聖絶に関する事で命令を破ったサウルとサウルに継ぐ王としての候補にも上がらなかったダビデは大きな違いがありました。
 それは「主と共に歩む」と言う生き方そのものでした。人はその人のうわべを見て判断しますが主はその人の心の中をご覧になられます。その点でサウルとダビデは大きな差があったのです。
 私達には外見などでコンプレックスを持ちがちですが、主はその様な事は気にしておられません。心を見られるお方だからです。そして何よりも私達は主に造られた傑作品なのです。それ故に主と共に歩む時に、本来造られた目的に従って歩む事が出来るのです。(要約)

2025年3月3日月曜日

先週(3/2)の講壇

「いけにえ?or 従順?」 

サムエル記第一15章19〜26


 アマレク人全てを聖絶し焼き尽くす様に命じられた主のご命令をサウルは破ってしまいました。そしてサウルは分捕り物の中から羊や牛を取ったのです。
 これは明らかに主のご命令に背く罪でした。しかもサウルはその事を正当化しようと兵士に責任転嫁したのです。それによってサウルは王の座から引き下ろされてしまったのです。
 主は既にサウルからダビデへと王位を移す事を決めておられたのです。私達は自分の考え、経験によって主の御言葉に不従順ではないでしょうか。お互いに再度襟を正していきたいと思います。その様な歩みを通して主に喜んで頂ける歩みをしていきましょう。(要約)

2025年2月24日月曜日

先週(2/23)の講壇

「主の御声を聞く」 

サムエル記第一3章16〜21


 祭司エリのもとで霊的な訓練を受けていたサムエルに御使いが三度も現れました。その度にサムエルはエリのところに行って何を語ろうとされたのかを確認しにいきました。
 しかし、エリは一度も呼んでいないと言う事でした。そこでエリも主がサムエルに語ろうとしている事を悟り、「今度、主が呼ばれたら、『はい。僕は聞いています。』と語る様に」命じます。
 四度目に主はサムエルに裁きの事を告げられたのです。そしてサムエルはエリに正直に全てを話しました。主と主の御言葉の前に謙虚に歩む大切さが表されています。私達も主と主の前に謙虚に歩ませて頂きたいものです。(要約)

2025年2月19日水曜日

先週(2/16)の講壇

「霊は信じること、魂は理解すること」 

コリント人への手紙第一1章19〜29


 聖書は見える世界と見えない世界があると言っています。クリスチャンはこの二つの世界を信じる人達です。この事を信じないならキリスト教はただの宗教であり、哲学であり思想にすぎません。
 魂の機能は見える世界を理解するために神様が下さったものです。神様について理解する事は不可能なのです。人間の知恵によっては神を知る事が出来ないのです。信仰によって救いに与る事、神様に信頼を置く事が霊的原理です。
 私達は理解出来ない状況に出会う時があります。その時こそ私達の霊性は成長し強められていく時です。霊と魂をコントロールするカギは意志を働かす事です。意志を通して信仰を選ぶ事です。その時神様は私達の内に霊的成長、霊的権威を増し加えて下さる事を信じています。(要約)

2025年2月12日水曜日

先週(2/9)の講壇

「主の完璧な摂理」 

ルツ記1章8〜18


 ベツレヘムに飢饉が訪れたエリメレクとナオミと二人の息子はモアブの地に逃れました。そこで息子達にそれぞれ嫁達を選びました。しかしやがて夫のエリメレクと二人の息子も亡くなってしまいました。
 そこでナオミは二人の嫁に「故郷に帰りそれぞれ夫を探しなさい。」と勧めます。弟嫁のオルパは涙ながらに姑から去っていきましたが兄嫁のルツは姑から離れようとはしませんでした。ナオミの説得にも聞く耳を持たないルツの堅い決意を見てナオミはそれ以上反論する事が出来なくなりました。
 ルツはやがて買い戻しの権利のあるボアズと結婚しました。その末裔にメシアなるイエスキリストが誕生したのです。全ての営みの中に主の完璧な摂理があったのです。私達もその様な主の摂理の中に生かされているのです。(要約)

2025年2月4日火曜日

先週(2/2)の講壇

「信仰による勝利者」 

士師記7章2〜9


 ミディアン人からの攻撃を恐れていたギデオンは御使いによって「主の勇士として戦うように」と言う召しを受けました。そしてそれは主が戦われる戦いであり勝利を与えると言う約束も受けていました。
 戦いのために32千人の兵士を用意しましたが主は「兵士が多すぎる。自分達が勝って主に誇る事がないように。」との事でした。そこで水辺に連れて行き、そこでの水の飲み方で選ぶ者を絞られたのです。
 手で水を掬って飲んだ3百人だけを選ばれたのです。それは常に戦いに対して隙を与えない兵士達だったのです。これは私達の信仰生活でも同じ事です。常にサタンの策略を見抜いている必要があるのです。そして信仰によって主の勝利を信じて前進して行きましょう!!(要約)

2025年1月27日月曜日

先週(1/26)の講壇

「霊は一つにし、肉は散らす」 

コリント人への手紙第一1章10〜18


 自然界の世界には秩序があり原理がありますが、霊的世界にも原理があります。この原理を知らないなら数多くのことが起こります。肉の原理によって歩むなら私たちの肉の働きの方が強くなります。御霊の原理によって生きるなら霊が強くなります。
 霊は一つにする傾向があり、肉は離れさす傾向があります。聖霊に満たされたいと願うなら一致を熱心に保つことです。神様との関係だけではなく、周りにいる人との関係がどうかによって大きな影響を及ぼします。私たちの内に神様の霊がおられるので一つとなろうとするとき充満に働きながら強くなります。
 もし関係が気まずい人がいるなら、まずそのことを解決することです。感情は信号にすぎません。自分が辛いという信号です。意志をもって赦すことを選択してください。愛の中で一つになる時その中に神様のいのちがとどまります。(要約)

2025年1月20日月曜日

先週(1/19)の講壇

「神様の目線」 

マルコの福音書10章13〜16


 イエスの元に子どもを連れた親御達が来ました。子どもに触れていただくためでした。しかし弟子達はそれを阻止し、子ども達を叱りつけました。
 それをご覧になられたイエスは逆に弟子達を叱りました。そして子ども達をそのままにする様に促されました。更にイエスは子ども達に手を置き祝福されました。弟子達には、「これらの子ども達のようでなければ神の国に入れない。」と語られました。
 これは子ども達が純粋で素直な心を持っている事を強調した上でこの様な心を持っていなければ神のご支配の中に入る事ができない事を示されたのです。私達の教会の子ども達も神様の祝福の中にいる大切な宝物なのです。(要約)

先週(1/12)の講壇

「真の礼拝者」 

ルカの福音書17章11〜19


 ツァラアトに冒された10人の人達はイエス様が通られると遠くから叫びながら癒しを求めました。しかしイエス様が語られたのは「癒されよ!」という言葉ではなく、「行って祭司に体を見せなさい。」というものでした。
癒しを期待した彼らにとっては期待はずれの言葉でしたが、イエス様の言葉に従って祭司のところに行く途中で癒やされたのです。
 しかし感謝してイエス様のところに戻ってきたのはサマリア人一人でした。彼の姿から神様の前に感謝と賛美を持って行動する真の礼拝者の姿を見るのです。私達も自分の環境や気分、感情如何に関わらず真の礼拝者として歩みたいものです。(要約)

2025年1月8日水曜日

先週(1/5)の講壇

「働く事が出来ない夜が来る前に」 

ヨハネの福音書9章1〜5


 イエス様は生まれつき目の不自由な人のところに来られた時にそばにいた弟子達は、「この人がこうなったのは誰が罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」と質問しました。
 するとイエス様は「罪」のためではなく「神の栄光が表されるためだ。」と語られました。働きの出来る昼の間に行う必要性がある事を強調されました。
 それは、やがて福音が裁きに変わってしまうからです。イエス様のご再臨の前に大切なあの人この人が救われる必要があるのです。そのためにイエス様をお伝えし執り成す必要があるのです。(要約)